桃太郎のお婆さん的な立ち位置 #シェアめぐり

あおやぎわかこさんの投稿で先日面白そうな企画#シェアめぐり を見つけたので、ここ数日なんだかんだで考えておりました。参加します

始めはあおやぎさんご自身のシェアする時の分析を見て、分かりやすい。そして、深い。説明の仕方が綺麗。あわわ。すご。となって、自分はこんなに分析できないっ…てなってましたが

うまくできるか分かりませんけど…まだ暗いうちから書いてみようと思います。今日も寝不足だ。あおやぎさんのせいでは御座いませんからね。僕はいつもこうやって寝不足なんです。。自己管理能力の低さ…では、レッツらゴー

全体的に見ると、自分がnoteでフォローしている人の投稿を中心にシェアしております。その次にTwitterでフォローしている人達(ほとんどnoteと一緒)がシェアされているものを読みに行く→大概面白い→その人をフォローというのが最近の流れです

・投稿を読むとまず共感したもの→

面白い、悲しい、ホッコリする、役に立った、新しい発見、知らない世界、応援したいなど。エッセイ、小説、内省もの、等ジャンルは問わないです

・割と感覚的にシェアしたいというものを選んでいます。

そして、帯なんですけど。いつも悩みます。僕も確か近い時期(3月)くらいからあれ?シェアって素敵だなぁと思い、やり始めました。理由は単純にシェアしたらさらに誰かが読む可能性も広がります。

しかし、シェアだけだと味気ないなと思い帯をつけ始めた所存です。そして、書き手さんに「僕はここが好きです」という意味で始めたのが最初です。

パターンはあおやぎさんと同じでいくつかありますが、僕の場合は…あおやぎさんご自身の分析を引用させていただくと①と②が多いです

・特に①。

ここは!ってのが見つかるとすぐ引用します。なんとなくここが大事な所だなぁと僕も読んでいて思ったところ、一番共感した所とでも言うのでしょうか。

あとはその前後に結構良いこと書いてたりすると引用します。この文の方が読み手さんの興味を引くのではないか?と思う文があった場合です。

目立たないけど、布石になっているような文を見つけると自分はそこをピックします。それから、それだけだと、自分は全部読んだから分かったつもりだけど、これから読む人は想像しにくいのかなぁと思い、一言自分の感想やその箇所から印象として受けた思いを入れます。

・あとタイトルだけだとどんな内容なのか分かりにくい場合あるじゃないですか?それってもったいないなぁと思って。いや、余計なお節介なんですけどね

僕は読み手さんだって、深く読み取る人から、浅くしか読み取れない人って沢山いると思うんです。しかも読み取り方には得意不得意あると思う。一人一人の好きなジャンルや思考、性格に振れ幅が大きい気がしています

だからタイトルだけだとせっかくの出会いを棒に振ってしまってることもあると思うんですよね、だから文の中から引用してみる。

すると、ちょっと取っ掛かりみたいなものができて興味持った人が現れるかもしれない。ひょっとすると、それが誰かにとっての良いnoterさんとの出会いになるかもしれないと、勝手ながら行動しております

・ただ、タイトルだけで充分伝わるものはそのままシェアすることがあります。


込めたく無いものというか注意しているのは、書き手も読み手も傷つかない不快な思いをしない。ところは気をつけているように思います

ぷはー僕の分析じゃこれが限界だ。やっぱり、あおやぎさん、すごいんだな。。(すみません、一部引用させてもらってます)

個人的にここ一月ほどシェアをやってみて、思ったのはやっぱり「書く」と「発信」はちょっと違うからシェアって必要なのかなぁと

僕にとってシェアは読む人にとっての

「取っ掛かり」です


桃太郎のお婆さん的な存在で僕は在りたいです

川から流れてくる大きな桃をお爺さんに見せるのがまずは自分の役目なのかなぁ、と


あと、桃太郎は入ってなくてもいいんです。

お婆さんは単純に大きな桃をお爺さんや他の人達と食べたかっただけじゃないかなぁ…

毎日noteやTwitter(川)で美味しそうな桃(投稿)を見つけて、みんなでシェア(モグモグ)できたらそれで良い



なんて、分かり難いですよね 笑

こんな感じです。





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