誰の気持ちだろう?
Xを開いたら、
仕事をサボる人より有害なのは、無駄な仕事をがんばって周りを巻き込む人
という投稿が流れてきて、
なるほどなぁと思いかけたけど、
「有害」「無駄」「巻き込む」という言葉の羅列に立ち止まり、
いやいや、これは怖い文字群だとスルーした。
しかし、一日中気になっていた。
先ほどもう一度見に行ってみたら、
ものすごい数のいいねやブックマークで驚いた。
私が気になっていたのは、
私がその「有害」側の人間だと思われるからで、
なぜそう思うかと言うと、私は経験があるからだ。
ひとりで頑張っていたつもりが、いつの間にか周囲に「協力」してくれる人が増えていた。
…と、思っていたけれど、そのチームで動いていたら、上司に当たる男性よりも業績を出してしまい、あらぬ噂をその人に流されて人事権を持つ人によって仕事から外された。
…1年後、同じ仕事に復帰し、数年後、さらに業績を伸ばしたが、今度は別の上司に、それ以外の仕事を積まれ、残業と休日出勤の結果、心身が壊れ、実質的にその仕事から離れることになってしまった。
(私をいったいどんなふうに働かせたいと?理解できずに苦しんだ)
私は仕事をした結果、仕事が無くなった人間だ。
先の投稿を見て、「有害」だったから仕事が無くなったのではないかと考えた。
「有害」「無駄」「巻き込む」という言葉は、
どの立ち位置から発されているのだろう。
あの仕事ぶりは有害だ。
あの仕事は無駄なことだ。
あの人の仕事には巻き込まれる。
全部、立場として弱い人、巻き込まれる側の人から発されているように思った。巻き込まれるのが嫌なので(チームとして働きたくないので/チームとして動きたいがあの人のチームでは働きたくないので)、「無駄」に見えるし、その人が「有害」に見える。
こういう思考は、私の職場でもよく見かける。
私は主要ポストからはほど遠い所にいるので、そういう思考の人のそういう愚痴がこぼれる場にいるため、なんとなく聞いている。
同じ思考を全員が持つようになったらその組織はどうなるのだろうか。私の観察例をひとつ挙げる。
職場にはさまざまなチームがそれぞれの仕事をしているが、同じような仕事をしているチームが2つある。
「無駄な仕事をがんばって周りを巻き込む人」が複数人いるチームは、不協和音がない。リーダーにのしかかる重圧は相当だが、チームもそれを見ている。
一方で、リーダーが常に不在のチームもある。「無駄な仕事」を極力減らし、リーダーがいた方が良いかもしれない現場にいない。どうなるか。「仕事をサボる人」が普通の集団になっていく。「無駄な仕事をがんばって周りを巻き込む人」は誰もいないが(いなくなるが)、チームの成果もない。
これはほんの一例だし、書き方にバイアスがかかっていると思う。しかし、現実をこのように見ている私としては、先の発言は、立場の弱い人、巻き込まれる側の人間の言葉に見えて、そうではないのではないかと思うのだ。結局はそのチームにいても成果が出ず、苦労するのもその人。
同じ思考をもし人事権を持つ人がしていたとしたら、その組織は終わっている。いずれ停滞し、自滅する。どんな人も「巻き込む」必要があるのが組織だから。
ところが、不思議なことに先の発言の思考をしている人がいるように思う。若くもないのに。現に私は2度やられたし。
「無駄な仕事」の中身を見透せる上司に会いたいものだ。
敢えて言うけれど、「無駄な仕事」などない。
チームが円滑に回っていくことが大事だ。
従って、先の投稿は、誰の立場の代弁でもない。
立ち位置が宙に浮いているご発言で、照射距離が短いけれども、この時代の多くの層(子ども達からご老人まで)のなんとなく感じている被害者意識には寄り添っているように思う。
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