はじまるきせつ

2022年1月10日、成人の日。推し、成人おめでとうございます㊗️

ここ数年、成人の日は毎年“推しの成人まであと○年……”と死にそうになっていましたが、実際に推しの代の成人の日を目の前にして、意外にもあっけらかんとしたような、晴れ晴れとしたような、そんな気持ちでいました。

推しがはたちになって、これまで私をがんじがらめにしていた呪縛が解けたように思います。驚くほど心が軽いし、あんなに囚われていたのが嘘みたいに執着してない。興味が薄れたとかではなく、いい意味で全部どうでもいい。呪縛が解けたんじゃなくて魔法が解けたのかもしれない…と悲しくなることもありますが、私はこれを良い変化だと捉えています。

推しが高校一年生の時にライブで聴いたある曲に感銘を受けて、大人になった推しが歌うこの曲を聴いてみたいと思ったあの瞬間から、私はずっと推しのはたちに向かって生きてきました。推しの成人式を目前にして、やっと目指してた場所に辿り着いたんだなぁ~なん感慨深くなってみたりして。

私は大人になってから永遠が怖くて仕方がありません。漠然とした見えない未来が怖くて逃げ出したくなる。これから先この人生がずっと続くなんて耐えられないから、終わらせたくなるんです。自分で終わりを作って、終わりが見えたらそこに向かって頑張れるみたいな。そうやって生きてきました。推しの成人、それは私の生きる目的であり、一つのゴールでした。推しがはたちになるまでは………そんな気持ちで夢と現実を行き来しながらここまで生きることができました。

どんどん大人に成長するなかで、そろそろこの夢も醒めてしまうかもしれないと思ったこと、何度もあります。まだ大人じゃない推しだったからこそ、私は推しに救われていたから。推しが人生の節目を迎えるたびに、もうおしまいだと絶望して、この夢の終わりを覚悟しました。

でも、私がどんなにもうおしまいだと思ってあきらめても、全然終わらないんです。当たり前みたいに私の前にいて、夢の続きを見せてくれる。どんなに時が経っても、好きだったところが変わっても、相変わらずあなたのことを素敵だと思ってしまいます。この夢は終わらない気がする。絶望するだけ無駄ですよね。ずっと好きでいさせてくれるの、ありがたい。私がゴールだと思っていた場所は全くゴールじゃなかった。私が簡単にあきらめそうになってしまうものは、あきらめるに値しないものだとあなたはいつも体現してくれます。ここからまたはじまるんですよね。これからもあなたの未来を見てみたいと思います。

推しのはたちに向かって生きてきた私がこれからどこに向かって生きればいいのか、正直不安です。それでもこの夢はまだまだ続きそうな気がします。

推しはよく「これからもずっとふたりで歌っていきます」と言ってくれたけれど、今はこの活動をずっと続けたいと思ってるとしても、これから先、今とは全然違う夢が見つかるかもしれないじゃないですか。もしも、別の道に進みたいと思う日が来たら、私は喜んで送り出したいと思っていますよ。どうなるかわからない未来の約束なんてしなくていい。永遠なんて求めてないし、ずっとなんて言いません。いつか醒める夢だとしてもかまわない。永遠じゃない今が1秒でも長く続きますように。ふたりの夢が叶いますように。素敵な大人になってください。どうか、未来に幸あれ~!

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