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バレたくはないから歌わないけど想ってないとかじゃないの

あけましておめでとうございます。

1年ぶりに帰省して、お正月らしいお正月でした。天気もよくて、お雑煮やおせちを食べて、ここ数年行っていなかった初詣も行って、良い一年にしたいなぁと思っています。

初詣で引いたおみくじは多分そんなにいい内容ではなかったかもしれないけど、全体的に“精進しなさい”的な内容で、書いてあること全部その通りだなぁと納得しました。引くべくして引いたおみくじな気がしたので信じてみます。頑張ります。

去年の終わり頃から何かを変えたくて、これまでの自分ならやらなかったであろうこともやってみようと心がけていていました。何かを得たいなら自分から動かないといけないなぁと思って。本当に、何かを変えたい。

これまでは“今”を生きることに必死で、未来のことを考えるのが本当に怖くて。未来の約束なんてできないし、今が楽しくなきゃ嫌だ、どうなるかわからない未来のために今を犠牲になんてできないと思っていたけど、最近は少しだけ未来にも目を向けてみようかなって、頑張ろうかなって思うんです。2022年、自分に呪いをかけない。手遅れだと思わない。人と関わることをめんどくさがらない。

私が東京にいる一番の理由はオタクだからです。今は今しかない、今会いたい人に会いに行くためには東京にいることがベストだと思って東京にいます。

東京で一人暮らしをしていると推しが自分の全てのように思ってしまうけど、帰省すると推しは全然私の全てではなくて、私の軸は他にあるなと思えます。私は地元が好きかと言われたら全然好きではないです。久々に帰ってみて、地元には家族がいるだけでやっぱりなにもなかったです。でも家族がいる場所なんだよなぁ。そこにいるだけで許されるみたいな、私が「オタク」ではなくて「わたし」としていられる場所なんだよなぁ。地元は好きではないけれど、地方出身で、そこにしかないものがあるということは私のアイデンティティの一つだと思います。

うちの家族はみんな照れ屋なので、そういう話はしないけど、久々の帰省を家族はすごく喜んでくれていたと思います。帰省中の晩御飯は、焼き肉、すき焼き、かに鍋、お寿司、たこ焼き。これだけで私の帰省を楽しみにしてくれていたんだと、愛されていると思える。

駅まで送ってもらう車の中で、もういい大人の私におばあちゃんが涙目でこっそりおこづかいをくれて、泣いちゃいそうになったのを必死で堪えた。寒さのせいにして鼻をかんで、窓の外を眺めた。笑顔でお別れできたけど、改札前で見えなくなるまで手を振ってくれる家族の姿を見て、エレベーターを登りながら少しだけ泣いた。昔から何も言わないけど、本心を隠してしまうけど、なにも思ってないわけじゃないんだよ。冷たい人間だなんて思わないで。

自分が今やりたいことをやりたい、でも家族のことを思うと切なくなる。家族への感謝と申し訳なさ、自分の好きと家族を天秤にかけてはなにが正解なのかわからなくなります。私にはどちらも手に入れることができなくて悔しい。いつでも帰れるのに、なかなか帰れない場所。また元気で会いたい。本当に、元気でいてほしい。もう少し、見守っていてほしい。

明日は仕事始め。東京に帰ります。2022年を良い一年にできるように、自分の選択を正解にするために精進します。

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