まのいいりょうしのできるまで #4
前回のつづき…
結局、体育館には三日間ほどいた。当時三歳だった双子の姪と、一歳の甥を抱えての避難生活で、日々の水と食糧を確保することで精一杯であり、東北の被害のことをほとんど知らなかった。
いつまでも体育館にいるわけにもいかない。妹家族は東京の親類の家に身を寄せて、僕はひとり浦安の実家のマンションに戻った。僕の育ったマンションは地震被害と液状化で、様変わりしていた。ゆるやかで広い中庭の所々に亀裂が走り、いたる所から泥が吹き出していた。地震の後の晴天で泥は乾き、それが風に飛