シン・エヴァは、ただ終わらせただけの映画だった(ネタバレ有)

昨日「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観にいった。2007年の新劇場版・序から13年、前回の2012年の新劇場版・Qから数えても8年。それなりに期待して見に行ったが、観終わった後は何の感慨も湧かなかった。

もちろんストーリーは衝撃的で凄い情報量の映画で濃密な時間を過ごすことは出来た。帰り道、ストーリーを思い出しながら、結局シン・エヴァはただ終わらせただけであり、だんだんと、もっと良い終わらせ方があったのではないかと、納得できないものがこみあげてきた。

ふりかえると、私は旧エヴァの劇場版(1997年。Air/まごころを、君に)でエヴァは作品として完結したと受け止めていて、新エヴァの始まりを冷ややかな目で見ていた。とはいえ、やっぱりエヴァファンの性で、新劇場版にも毎回足を運んだ。

2009年の破までは良かった。2012年のエヴァQがあまりにも破綻しており新劇場版に対する興味を失ってしまった。「破とQの14年間に何が起きたか?」、そこの詳細が明示されず、ストーリーが突然宙ぶらりんになってしまったのが原因だった。今回のシン・エヴァでその間の断片的な情報は明らかにされたが(加持さんが突撃してサードインパクトを食い止めたらしいが、どうやって?)、今でも霧がかかったままだ。やはりQが破綻した時点で、新劇場版は失敗する道しか無かったのだと思う(*1)。

シン・エヴァの話をするには、Qの話をもう少し深堀しないといけない。Qはストーリー破綻だけでなく、エヴァの世界観も崩壊させてしまった。Qでは、空飛ぶ戦艦が登場したり、宇宙空間で使徒と戦ったり、世界観がぐちゃぐちゃになってしまった。今まで所属していたネルフが敵に回り、エヴァと使徒と機械が融合したような無機質な存在が襲い掛かってきて、戦闘シーンはド派手ではあるが、全く楽しめなくなってしまった。やっぱり普通に格闘する方が面白いよね。

さらに劇伴として『ふしぎの海のナディア(庵野監督作品、音楽:鷺巣詩郎氏)』の劇伴(のアレンジ)が一部用いられた。これが決定的だった。もちろん庵野監督の指示だろう。作曲が同じ鷺巣詩郎氏だし、同じ庵野監督作品だから別にいいじゃんと思うかもしれないが、私には演出として一線を超える行為だと思った。実は破でも『彼氏彼女の事情(庵野監督作品、音楽:鷺巣詩郎氏)』の劇伴が用いられていた。そこまで重要なシーンではないから気にならなかったが、今回使われたナディアの劇伴は「いいところ」で使われる曲だったからインパクトが違う。ナディアの劇伴を使った時点で、もう庵野監督の演出力は限界に来ているのかなあと当時落胆したものだ。

シン・エヴァは、破綻したQの辻褄を合わせるようなストーリーにするから、滅茶苦茶なストーリーになってしまった。とはいえ、なんとか奇跡的に終劇まで完結まで持っていけたのだから良いではないかと思う方もいるだろうが、破綻したストーリーが原因で、演出にも影響があったのが問題だと思う。

特に気になったのは、序盤でパリ決戦が終わった後(パリ決戦はナディアでも登場した)、それまでとは対照的な暗い音楽と共にスタッフロールが流れOPが始まったのだ(*3)。パリ決戦とOPの雰囲気の落差が同じ映画とは思えず、演出が統制されていないように感じた。

旧エヴァ(TVシリーズ、劇場版)では、全てのシーンに緊張感があり、一切無駄はなく、全体が一本の軸で統制されていた。もちろん庵野監督の演出の力だろう。同じ庵野監督の『シン・ゴジラ』もそうだった。でも今回の『シン・エヴァ』はそうではなかった。一本軸ではなかった。クライマックスに行くにつれ、次々に衝撃的な展開を迎え、新しいキーワードが次から次へと登場して煙にまかれるが、全体としてはシーンがバラバラで、演出が破綻しているように感じた。オムニバスを無理やり繋げたような違和感があった。

個別のシーンに関して言えば、第3村のシーンはやっぱり衝撃で「こういうジブリみたいなことやっちゃうんだあ(*2)」と思ったり、旧エヴァと同じく内面シーン対決、巨大ホラー綾波、実写シーンが登場して「さすが庵野監督また同じことやっちゃうんだなあ」とニヤリとする場面もあった。そういうシーンは楽しめた。旧エヴァの補完計画同様、各キャラクターが次々と補完(もどき)されていくわけだが、特にゲンドウに時間が多く割かれていたことは、父と子の対決を終わらせる、という意味では良かったと思う。

だが、ストーリーに不満は残った。渚カヲルがゲンドウと似ているとかシンジ君の口から言わせないで欲しかったし(あのゲンドウと似ているなんて、カヲル君の神性が失われるではないか! まあ実際にゲンドウの遺伝子が組み込まれていたのかもしれないが)、綾波がいきなり死んでしまったのも報われないし(折角新しい暮らしに馴染んできたのに)、アスカはケンスケと結局幸せになったのかよくわからなかったし(最後の駅のシーンでケンスケはいなかった。なんで?)、マリとシンジが急接近したのが突然すぎて違和感があった(胸が大きいとかそんなことどうでもいいことだよね)。様々なところが破綻していたと思う。新エヴァは旧エヴァとはまったく無関係な作品です、ということで終わらせるならば、そのような結末でもまだ許容できただろう。でも、旧エヴァをも包括しようとしていた以上、やっぱり、アスカはシンジと幸せになって欲しかったなあ。ベタだけど、それが最も自然な終わらせ方だったのではないかと思う。

あと、最後の終わり方やEDのスタッフロールに、キレが無かったのも残念だった。シンジとマリが電車を降りるシーンはアニメで、その後、改札を出るシーンは実写と融合したシーンだったが、そのあと、実写で宇部市(庵野監督の故郷)をドローン空撮し徐々に距離を取っていくのだが、だから何?というような間延びした感じがあった(えっこれでエヴァ終わっちゃうんですか?みたいな)。あと、最後の駅のシーンのシンジの声は神木隆之介だったらしいが、全く気が付かなかった。別に緒方恵美のままでよかったじゃん。もしそこまでするんだったら、マリ役の坂本真綾の声も、最後のシーンだけ、別の人、例えば上白石萌音とか田中敦子に変えるとか、そういう演出をして欲しかったね(分かる人には分かるよね)。

またスタッフロールも、旧劇場版のオシャレなスタッフロール(曲のTHANATOS -IF I CAN'T BE YOURS-も素晴らしかった)と比較すると、普通のEDでしょんぼりしてしまった。なんというか、いろいろ衰えたとしか言いようがない。

(*1)昨年 youtube でQを無料で見られた時期があって、そのときに7年ぶりにQを見てようやく受け入れることが出来た。あの突拍子もない展開の監督の演出意図を受け入れることが出来たが、それでもQは失敗だったと思う。
(*2)実際、ジブリが少し協力していたようだが。
(*3)今までの新エヴァではスタッフロール付きのOPは無かった。

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