シン・エヴァの感想2.0(ネタバレ有)

先日、シン・エヴァの批判的な感想を書いたが、こうやって、またエヴァについて語ってしまう時点で、製作者の術中に見事にハマっているのだろう。

まあね、分かるんだよ。シン・エヴァの作品の意図は分かるんだよ。

なぜ全てのエヴァンゲリオンを破壊するのか? エヴァという作品(虚構)が今まで背負ったものを全て破壊して、新しい世界(新世紀。新・創世記と言った方がいいのかもしれないが)へと進める。同時に庵野が代表を務めるスタジオカラーとしては、これからはエヴァではない作品を産み出していくんだ、という覚悟を示している。

なぜシンジはマリと結ばれたのか? それはマリが旧エヴァの外側の世界からやってきて、ループを破壊する存在だったから。だから、最後のエヴァのない新世紀では、シンジは、レイでもアスカでもカヲルでもなく、マリと結ばれなければならなかった。

なぜ新世紀のシンジの声は神木隆之介だったのか? コマーシャルな理由もあるだろうが、それ以上に、エヴァのない新世紀のシンジはエヴァとは無関係でなければならず、それは新しい声でなければならなかった。神木隆之介はアニメファンでアニメ作品に理解があり、数々のアニメ映画にも声優として出演しており最適だった。

なぜアスカはケンスケと結ばれたのか? シンジがマリと結ばれることが確定した時点で、残ったのが消去法でケンスケしかいなかったから。最後のシーンにケンスケが登場しなかったのは、かつてのエヴァパイロット(シンジ、レイ、アスカ、カヲル)だけを登場させるためで、特に意味は無いのだろう。

渚カヲルがゲンドウと似ているという発言の意味は? 綾波レイがシンジの母親のコピーであることの対称。旧エヴァの設定では渚カヲルはセカンドインパクト時にアダムに人の遺伝子を注入されることで生み出されたが、実はゲンドウの遺伝子だったということなのだろう。

なぜ最後が宇部なのか? エヴァは庵野監督そのものであり、新世紀の始まりは、東京ではなく、庵野監督の生まれ故郷である宇部でなければならなかった。

という風に、理解はできるんだよ。分かりやすく作ってあると思うし。でも、納得できないんだよ。エヴァがこんな形で終わってしまったことが納得できないんだよ。もっといい終わらせ方があったでしょ、もっといい映画に出来たでしょ、という不満がね。

評論家の批評も読みましたが、基本絶賛ですよね。だけど、なんか歯がゆさを感じる批評が多かった。まあ評論家の人たちはある意味お友達だから褒めないと仕方なかったのかもしれないけど。なんていうか「この終わり方で良かったんだ」と無理やり自分を納得させている批評が多かったように感じた。それはネットの個人批評でも同じだったが、まだネットの方が批判的な感想が多いと思う。

正直「庵野監督!こんなの、シン・ゴジラの域にも達していないですよ!一体どうしたんですか?」とはっきり言ってくれる評論家いないもんですかね。

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