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そうか、出されるお茶か。

オンラインで会うことが主流となった今、
「今日この人と会ったよな」、と思うことはどのくらいあるだろう。

打ち合わせをした。という感覚はあるが、
会ったかどうかの感覚でいくと薄い気がする。

仲の良いあの人ですら、会ってるけど会っていない感じ。
楽しく話したはずなのに、対面で会ったときよりも物足りない感じ。

ここは何か論文かなにかあったら教えて欲しいのだが
対面であったとき、人は情報を収集している器官がやっぱりあるのだと思う。


とはいえ、このご時世、上半身だけしか映らないパソコンの前で
共感覚を埋めるために、コミュニケーションはどう変化するのだろうか。

・声
・見た目
・背景
・内容
・間の取り方

いろいろなことが考えられるが、身体的感覚を物理を超えて共有するために今後工夫されていくというか開発されていくのであろう。

で、ふと思った。

訪問して、お茶を出されてみんなで飲む。


あれだ。


あのお茶が大事なんだ。


同じ飲み物や食べ物を同じタイミングで体に取り入れること。


好きな飲み物ではなく、
今回の打ち合わせは煎茶で、とか。
来週の打ち合わせはインスタントコーヒーで、とか。


同条件の環境化に近づける工夫。


これを行うことで、考え方や課題感に寄り添うことができるのでは?

という仮説を思いついたので、誰か一緒に試して欲しい(笑)。


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