まりなちゃんのお母さんのこと

毒親からは離れるしかない。物理的には無理だとしても精神的には一線を引いて、とにかくなるべく関わらないようにするしかない。それは間違いない。

そしてまりなちゃんのお母さんは、紛うことなき毒親である。娘に「やばい」と言われながら、たぶんアルコールのせいで肝臓でも壊して、平均寿命よりだいぶ早いタイミングでお迎えが来るだろう。

まりなちゃんはそのとき、悲しむよりもほっとして、母親の死に「安堵してしまった」ことに涙する、そんな未来図が容易に見えてしまう。

身体より先に、お母さんのメンタルはとっくの昔にぶっ壊れている。最終的なトリガーは夫がよそに女を作って出ていったことだが、それはまりなちゃんのお父さんが「諸悪の根源」であるということを意味しない。あくまでトドメの一撃を入れただけだ。

自分一人だけさっさと逃げ出して、有責配偶者の分際で置き去りにした娘に「離婚調停に応じるようお母さんを説得してくれ」とメールするなど、父親としてあるまじき無責任さではあるが、夫だからと言って人生を犠牲にして妻を支え続けろとまで要求するのは無理筋だろう。

まりなちゃんのお母さんは被害者であり加害者でもある。その「加害」を認識しないまま、いつまでも「可哀想な自分」に酔っている。ただ一度、タコピーに「娘を返して」と懇願したときは毒親の自覚があったようなので、日頃は蓋をして見ないふりをしているだけなのかもしれない。

そのお母さんが道を踏み外した一歩目が「おっぱいが出なかったこと」だというのがぶっ刺さる。私もてんで駄目だったからだ。三ヶ月ばかり苦しんで、泣く赤子から「お腹すいたのにダミーの乳首くわえさせやがって」と責められている気がして泣いた。それなのにすっぱり諦めることもできなかった。産後の精神状態で重要な意思決定はできない。

うちの場合、「完ミにしよう」と決断したのは夫だった。その上で表向きは「保育園入園に備えて混合です」と言うことにした。あのままぐずぐずしていたらノイローゼ一直線だったに違いないので夫には感謝している。

まりなちゃんのお父さんも同じように言ってくれていたら違ったのかもしれないし、言われても妻の方が断固として拒んだ可能性もある。お母さんは見た限り、ものすごくキャパシティの小さい人だった。

要は、「思っていたのと違う」ことに強烈なストレスを感じるタイプだ。自分の思う「普通」の世界を周りの人がお膳立てして整えてくれないと耐えられない。その「普通」を少しでも否定されるのが許せない。

離婚に応じないのは夫への愛情が残っているからでも、不倫されてプライドを傷つけられたことへの意趣返しでもない。結婚した男女が別れるのは「普通」ではないから、おそらくその一点だ。

「普通」の良い子として育ち、適齢期に好条件の男性と結婚し、可愛い娘を授かったところまでは順調だったのだろう。二〇〇〇年代ということもあり「跡継ぎを産め」のプレッシャーはなかったように見受けられる。

問題はそのあとだ。子育ては思っていたとおりに進むことの方が珍しい。まりなちゃんは寝ない子だったかもしれないし、偏食だったかもしれない。立ったり歩いたりが他の子より遅かったかもしれない。そのたびに「ちゃんとおっぱいが出なかったせい」と自分を責めていたらおかしくもなる。なるのだが。

仮に母乳が溢れんばかりに出ていたら、あるいは出なくても「ミルクでいいじゃん」と割り切れていたら、まりなちゃんのお母さんはメンタルを病まなかっただろうか。どう考えても否である。その先のどこかで、何かままならないことが起き、結局はああなっていたと思う。

まりなちゃんの交際相手が医者の息子だと知って、一時的に安定したのは、失った「普通」が戻ってくると期待が持てたからだろう。つまりまりなちゃんのお母さんにとっての「普通」は、実は大変ハードルが高い。人に羨まれるような幸せ、いわゆる「高望み」というやつを「普通」と認識し、おまけにそれは自分の力で築き上げるものではなく、「誰かから与えられて然るべきもの」なのだ。

このお姫様気質で「普通」の幸せを掴むのは至難である。あまりに他人への期待値が高すぎる。この「普通」幻想が粉々に打ち砕かれない限り、手を差し伸べてくれる人がいても必ず破綻すると断言できる。

ここから立ち直る余地があるだろうかとカウンセラーの夫にもし尋ねたら、たぶん「底つき体験が必要だろうなあ」という答えが返ってくる気がする。あとは浮き上がるしかない「どん底」を味わうということだ。

となると、「相当程度の別居期間」を経て裁判離婚が決まったタイミングがワンチャンだろう。担当の裁判官にはそのとき是非、まりなちゃんのお母さんに向けて「おめでとう」と言ってほしい。「普通」でない「普通」をぶっ壊す第一歩として。