「ポリコレアフロ」の旅の途中

巷で話題になっていたので『ミステリと言う勿れ』を9巻まで買って読んだ。

流行りに乗るのもたまには楽しい。普段は逆を行きたがる方なのだけれど、田村由美作品は『BASARA』以来で、Twitterのスクショで見かける絵柄が懐かしくなったのだ。

さて、初読の感想だが、現状わかっている範囲で見るに、主人公の久能整(くのう・ととのう)くんが「ポリコレアフロ」と呼ばれているのは妥当でないと思う。

彼は作者の思想の代弁者として「今の社会で正しいとされていること」を口にしているわけではない。彼の話すことが時に、ペラッペラに薄くてお手軽清潔な紙石鹸のように感じられるのは確かだが、それは作者の都合でしゃべらされているお人形さんだからではない。

整くんが他人、特に子供の心に不用意な傷をつけることを極端に恐れて、意識的にも無意識にも「ただしくてやさしい」ことを言おうとするからだ。と、私は推察している。

作品の感想で「説教的」と評される部分は、整くんが喜和さんや天達先生のような「尊敬する大人」から学んだ社会規範と、本人も自覚していた彼の中の偏見と、向き合っている人が「言われたがっていること」がない交ぜになってできている。

しがない大学生の言葉が、彼より人生経験の長い登場人物たちにもぶっ刺さるのは3つ目の理由が大きい。整くんは空気は読まないが他人の顔色は読む。読む割には読めないことにしている。その方が楽だからだ。

その意味で、「僕は思うんです」という前置きは正確ではないと思う。「この場合はこう発言するのが正解だと考えるんですが、間違っていたら困るので個人の所感という体で表明することにします」というエクスキューズのようなものだろう。

彼の外面は、洗濯のりから作ったスライムのごとくドロッとした柔らかいもので覆われていて、誰かに少しくらいぶつかってもそれがクッションになって相手を傷つけない。だが、同時に相手方からは「つかみどころがない」「何を考えているかわからない」という評価を受けやすい。

私はそのスライム状の何かを彼が作り出した鎧だと思ったので、勝手に「無難の鎧」と呼ぶことにした。

その「無難の鎧」の下の個性は、かなり凹凸がある。少なくとも「定型発達者からは変人に見える言動」は明確に描かれている。ただ、変人扱いされて内心傷つく程度には普通の人でもある。

整くんが発達障害ではないかと推測する人もいるが、その辺りは断定できない。高葛藤家庭の子には発達障害とよく似た困りごとが見られる例もあると聞くので、その特性が生来のものか生育環境によるものかも不明である。

そしてそのさらに奥底に、分厚い氷の壁で封印された「リトル整くん(仮名)」がいる、と推測している。

整くんがいろいろな人と触れ合う中で自分自身の根っこと向き合い、いずれは「リトル整くん(仮名)」を掘り出す、というのが『ミステリと言う勿れ』の本筋ではないかと私は見ている。おそらくそれが天達先生の言う「自分を知る旅」である。

正体不明のカウンセラーを追って事件の真相を解き明かす、というのは重要には違いないがあくまで付帯的な要素だろう。

登場人物に虐待サバイバーや家族との間に問題を抱える人が多いのも、整くんの「無難の鎧」にさざ波なり大波なりを立てるために投げ込まれる石として選ばれているからだと思う。

彼は基本的に、食の好み以外の自己開示をしない。これまで読んだ中で明かされた間違いのない本心は、「カレーが好き(ただし予期せぬカレー味は苦手)」「トマトの入ったサンドイッチは嫌い」くらいのものだ。

本音を隠しているというよりは、自分でも自分の心が見えていないタイプに見える。「通じ合う人」に会って何らかの感情が生じたときにだけ、今まで知らなかった「新たな自分の発見」が起きる。ごく普通の家庭に育った一般人では、その化学変化を引き出せない。

だが、おそらくその「発見」は彼にとって不安を伴うことなのだ。好奇心は強いのに、自己の内面にはあまり興味を向けない。だから今さら「ミルクが好きだったんだ」などと、小学生の頃には気付いていても良かったことを自覚して驚く。

老成すら感じさせる振る舞いとは裏腹に、内面には年齢不相応に未成熟な部分を抱えている。恋愛感情がピンと来ないことなどはその典型だろう。「リトル整くん(仮名)」を閉じ込めていることと無関係ではないと思う。

限られた情報しか明かされていない今の段階でアダルトチルドレンだと決めつけるのは差し障りがあるが、彼がAC的な要素を持っていることは否定しがたい。

ただ、もちろん「リトル整くん(仮名)」を解放すれば解決というわけではない。「リトル(ry」はいわば「ままならない自分」の塊だ。表に引っ張り出した途端、整くんがライカさんやガロさんに意味のわからない試し行動をしまくる面倒くさい人になり果てる危険性もけっこう高い。

それでも、生涯に渡ってそこに蓋をしたまま生きるのは難しいだろう。1読者としては彼がインナーチャイルドと上手く折り合って、この先やっていけるようになればいいと願っている。