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12月に我が元を過ぎ去った女神たち

2年ぶりにTinderに出戻りをした。一度辞めていたのは別に過去に強烈に嫌なことがあったからとかそういうことではなく、決まった相手と付き合いだしたために、他の女に時間を割く余力がなくなったという至極単純な理由からである。そして、出戻った理由も至極単純。決まった相手、というものがなくなったからである。

昔取った杵柄とはよく言ったもので、マッチした相手にいくらかの知性と会話の意思があれば、食事に誘うことは2年のブランクを抱えた身でもさほど難しくなかった。むしろこの2年間、反フェミに染まっていくTwitterの言説を目にしたり、個人的な経験をいくつか積み上げた結果、私の中にある程度残っていた女の神聖性というメッキがほぼ完全に剝がれた。諦念混じりに関わるようになったことで、かつては女のすることに多少なりとも一喜一憂し、一人でも取りこぼしたくないと半ば焦っていたのが、今では誘ったそこそこの美人とのランチの途中から、あまりの間の合わなさに「二度と会うこともないだろうな」と冷静に考えられるようになった、なってしまった。

11月後半~12月前半はクリスマスを前にして女も焦るのか、そこそこな回数でマッチした。
この手のアプリのメッセージから食事に連れ出すのは非常に簡単で、3往復程度までは趣味の質問を相手に振り、適当な相槌を打ちつつ適度に追加の質問を入れる。3往復目あたりで休みの日に何をしているかを聞き、その答えがどうであれ、4往復目の段階で「予定が合えばご飯にでも行きませんか?」でだいたいクロージングできる。趣味の話は、自分の守備範囲外のことでも全く問題はない。これまで全くかかわりのなかった範囲であろうと、手に持っている大層な機械でネットの海に飛び込めばにわか程度の知識は簡単に得られる。互いの共通項を掘り下げることで会うことへのハードルを下げることは必須なのだから、この程度のことは手間のうちに入らないだろう。
賭けてもいいが、上述のことを意識しながら男とメッセージをしたことのある女はTinderには数えるほどしかいないだろう。自動販売機から好みのジュースを選ぶ立場にある者は気楽なことである。

そんなこんなで今月は確か4人と会うことになった。そこに至るまでにその倍以上の人数とメッセージのやり取りをしたような気がするが、何人だったかはもう忘れてしまった。私の質問の仕方がまずかったかフェードアウトした方は当然いる。私もまだまだ修行が足りない。そうでない場合は大抵、相手が一問一答女(こちらの質問にクイズのように答えだけを返してくる女の意)だったためにこちらから嫌気が差して切った。ウェザー・リポートは「その辺の木よりも馬鹿そうな女を見かけたらナンパしろ」と言っていたが、それはあまりにも木に失礼である。
公務員だったがメンタルのバランスを崩し休職中の、平手友梨奈を過酷な環境に置いて100倍幸薄く仕上げたような方。強いメイクと上げ底靴で武装し、高身長で若い男が好きな、ソフト会社に勤めていたが現在無職の趣味で写実画を描く方(なお私の方が若干年上で残念ながら私は高身長ではない)。Tinderを始めたての寺山修司大好き女子(「ちょっといいな」と思った年下の男に年上の女が見せる独特の距離の詰め方が印象的だった方)。
将来的に学生時代のように鎌倉に住みたいだとか、寺山修司の朗読会に付き合ってくれる友達がいないとか、抽象画を描く先生を師に持ったものの抽象画のことなどさっぱり理解できなかったとか、聞いた話は断片的に思い出される。
片や私が彼女たちにどんな話をしていたかは、どの方も会えば軽く1時間ちょっとは会話をしていたはずなのだが然程思い出せない。好きだという作家の小説をちょっと買ってみて読了した感想、好きだという画家の生涯や作品に対し何を思ったか、マッチングアプリでいかに心を鋼にしていったか、元々彼女と行くはずだった仙台旅行が一人旅行になったのをいいことに観光バスに乗らずに夕方の仙台市内を走って回ろうとしたことなど……。よくよく思い返してみたら案外覚えていたが、誰に何を話したかがやはり曖昧だ。
この方々は私から切る、相手から切られるのどちらに関わらず、話している間から正直居心地が悪かったので「まぁ2度目はないだろうな」と思っていたのでそのまま放っておいている。

来年もきっと気が向いたら同じようにフラフラとやっているだろうが、正直モンハンをやったりプラモに手を加えている方が面白いな、と感じつつある。ある程度まとまったら、またこうして投稿することもあるだろう。この記事を読んでくださった方にはその日を楽しみにしていただければ、これ以上の幸福はない。それでは、またのお越しを。

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