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化粧という魔法により溶けた呪いの話

最近、韓国の俳優さんやアイドルをよく見ているのでより強く思う。男女関わらず、お化粧がとっても好きだ。「お化粧された顔」が好きだ。

化粧は芸術の一種でもあると思う。対象の方のお顔を、より綺麗に見せる、より理想に近づける。とっても素敵なもので、その人に自身を与えることもあるだろう。かくいう私も、化粧のおかげで臆さず人と話せるようになったし、目を見れるようになった。化粧は、私にとって魔法のようなものだ。


私は大学2年生になるまで、全く化粧に興味がなかった。大学生に入ってから、ファンデーションを塗る、マスカラを塗る、眉毛に色味を足す、等するようにはなったが、何がいいのかもよく分からなかったので適当にホイホイと塗りたくっていた。お肌の負担を考え始めた時に、下地が必要だとわかって、下地を塗るようにしたり。日焼けが嫌いだったので日焼け止めを塗って日傘を差すのはずっとしていたし、中学の頃から親に言われて化粧水と乳液は毎日欠かさずしていたので、直塗りファンデーションによる肌のダメージはマシだったのかとは思う。
この頃は特別化粧に対して何も思っていなかった。マナー上、しなければいけないものになるからという理由で、一種の義務感でしていた。


化粧の勉強をきちんと始めたのは、アイドルを好きになってからだ。
「あんなにかっこいい人たちを応援する人は、可愛い子でなくてはならない」という謎の脅迫概念が私にはあった。私の周りのアイドルが好きだった人は、みんな可愛い子だったからだ。

私は自分がひどくブサイクだと自負していた。母親からも「まああんたは可愛くないから」と言われていたし、小学生の頃も「ブス」と言われたことはあるし、「パグみたい」だとゲラゲラ笑われていたこともあった。自分の顔は嫌いだったし、でもどうしようもない変えようがない事実。人見知りが激しくあって、人と目を合わせて話すことを苦手に思っていた。せめて、と思って生きる術として、どんなに自分が苦しくて悲しくてイライラしてて、という状況でも、人といるときは笑うようにしていた。
子供がどんな顔であれ、ニコニコ笑っていて、愛想が良ければ「いい子ですね」と言われることを私は知っていた。親の仕事上、会うことが多い父親の上司や仕事相手の方からも、教師からも、近所のお母様方からも、知らないお店の人からも、とにかく笑って接すれば「穏やかでいい子ですね」と、親の面子を潰さずに済んだ。
ただし、私は自分の顔も嫌いだったし、自分の笑顔も大嫌いだったし、顔のせいで何回も何回も死んでしまいたい、と思っていた。私の友人には美人だったり可愛い子が多かったから、余計にコンプレックスだった。

そんな私は、「化粧で少しでもマシになれば、アイドルの事も好きでいられるハズ」と思ったのだ。

化粧が、人権が得られる方法だと思った。

雑誌をたくさん買って、化粧のページを読んだが、当時はなんの話だか全く分からなかった。マスカラだかマラカスでさえどっちがどっちだか分からなくなるし、下地、ファンデーション、コンシーラー、アイブロウ、アイシャドウ、アイライナー、マスカラ、チーク、リップ・・・最低ラインで、何が必要なんだろう、と頭を抱えてしまっていた。

そのころに、私が出会ったのは、NMB48の吉田朱里さんだ。

今でも忘れない。私はこの動画を毎朝、覚えるまで毎日見ながらお化粧をした。コンタクトを買いに行って、初めてコンタクトをつけるのにお店の方を困らせるくらい、2時間近くかけて閉店ギリギリにやっとつけることに成功し、売ってもらえた。毎朝コンタクトに1時間、メイクに1時間、早起きしてちょっとずつ覚えた。
吉田朱里さんの動画が更新されるたびに絶対何回も繰り返し見て、次の日には絶対真似をした。

そうやって、ちょっとずつ、「私の顔はまだマシかもしれない」と思い始めた。あんなに見るのが大っ嫌いだった鏡を、1日に何回も見た。私の目はとにかくアイメイクが落ちやすい目だったので、どのマスカラだったら、どのメイク方法だったら滲まないのか、毎日違う方法で試して自発的に考えるようにもなった。真似だけじゃなくて、お店で売っている可愛い色の化粧品があったら、欲しいな、と思うようにもなった。

まだマシ、と思えるようになったおかげで、アイドルを応援する時に自信が持てるようになった。恥ずかしい気持ちでタワレコに行って、新譜をコソコソとって、店員さんと極力目を合わさないように購入する、なんてことがなくなった。堂々とスペースの前に立って吟味できるようになったし、店員さんと目を合わせて購入することができるようになった。「前よりは人に不快感を与えていない顔になっているハズだ」と思ったら、化粧していることが私のお守りのようにもなった。

私が本当に感謝しているのは、吉田朱里さんの動画内での言葉だった。女の子はみんな可愛い。化粧は恥ずかしいことじゃない。可愛いって思うことは何も恥ずかしくない。繰り返し、そうやって言って笑っている液晶の向こうの本当に文句のないほどに可愛い女の子が、私に少しずつ自信をくれた。
「こんな顔の女が可愛いって思うなんて、無駄だ」とか「あの女、あの顔で化粧してるよ」って思われてるんじゃないかと思っていた気持ちをすっと消してくれたのだ。
私がこうやって思っていたのは、実際言われたのもある。今となっては「ハ?」と鼻で笑ってやれるけど、私の奥底ではまだ傷になってずっと残っている。ずっと許せない、呪いみたいな言葉だ。
そんな呪いを、吉田朱里さんは打ち消してくれた。たまに会う友達が、「なんか可愛くなった?」と言ってくれた。同級生が「今日のリップ可愛いね」と褒めてくれた。

私にかけられてた呪いは、まだ今でも奥底で渦巻いていることがある。いまだに、母親には「可愛くないから」と言われる時もある。でも、私はもう、自分を自分で卑下して思うことは、やめようと思うようになった。
私に自信をくれたのは、化粧という魔法だ。私は朝、化粧をする時間が大好きだ。今日はフワッとチークを濃いめにつけて可愛らしくしてみよう、とか、今日はキュッとアイラインを引き上げてみよう、とか、お洋服に緑が入ってるから、緑のアイシャドウをちょっと入れてみよう、とか、今日は肌の調子が悪いからフワッとナチュラルにしよう、とか。毎朝鏡の前に立って、化粧をし終わった後に変わった自分を見て自己満足する。
化粧がうまくできたかできなかったではない。化粧をしたことで、私は自信を持って人と喋って、自信を持って人の前で笑って、好きな人に会いに行ける。

ひみつのアッコちゃんが「テクマクマヤコン」と唱えたみたいに、おジャ魔女どれみがリズムタップを叩き鳴らしたみたいに、セーラームーンが「ムーンプリズムパワー!」と叫んだみたいに、「ブス」と言われた自分から解き放たれて別人になれるような気持ちになるのだ。

化粧は、私にとって魔法だ。
人にとって私が可愛いか、可愛くないか、美人か、美人じゃないかは問題ではない。私が自信を持って生きていくためにいる、魔法の道具だ。


化粧のおかげで自信が持てたおかげで、化粧をしなくても自信はつくようになった。ある意味、「まあ今日化粧してないしな」と開き直れるまでにもなった。化粧が私にもたらしてくれたものは、とっても大きい。
化粧を「楽しい」「恥ずかしくない」と教えてくれた、吉田朱里さんに対しても、本当に本当に感謝している。吉田朱里さんにお会いしてそれを早口で伝えたら、「ほんま!?ありがとう!」とぎゅっと手を握ってくれて、泣きそうになってしまった。いつか吉田朱里さんが社長になるときには株を買いたいと思っています。

自分に自信を持てるようになってから、人を褒めることも多くなった。可愛いね、かっこいいね、それ似合ってるね。パッと人と会ったときに褒めることに躊躇いがなくなった。人のことを、前よりもよく見るようになったのだと思う。そこからその人のこだわりを教えてくれる時もあるし、話が弾んだときには嬉しく思う。

お化粧をしてる方の表情は明るい人が多い。やっぱり、自信がつき、自分を愛せるからだと思う。だから、お化粧している人の顔が特別好きなのだ。
自分を愛す自信がない人は、化粧という魔法に触れるのもいいのかもしれない。別に化粧をすることで絶世の美人になれるわけでもないし、私もすごく可愛く変われているわけではない。でも、私が長年かけられていた呪いを解いてくれたように、化粧には魔法があると思っている。

これを読んでくれたあなたにも呪いがあるのなら、解ける日が来ることを心から願っています。



小さい頃にたくさん傷ついて、ずっと泣いていた私へ。
自分の顔を心から嘘偽りなく、愛すことができるようになるよ。

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