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人は死を知覚した時に何を思うのかという疑問

父が亡くなってもうすぐ10ヶ月になる。
思えば身近な人間を看取ったのはこれが初めての経験だ。これまでの身近な死はせいぜい祖父母くらいのもので、同居家族でもなく病院や老人ホームからの訃報だったので、自分から見ると「どこか遠いところでの緩やかな別れ」という感覚だった。
父の死はそれらとは大きくかけ離れたもので、つい3日前までは元気に顔を合わせていた家族と唐突に別れることになるとはあの時まで微塵も想像していなかった。
わがまま放題の父には手を焼くことの方が断然多かったこともあり、薄情なもので未だに「悲しい」「寂しい」といったセンチメンタルな感情は湧いてこないのだが、ここ最近父のことをぼんやりと思い出す度に浮かんでくる気持ちがある。それは「亡くなる前に父は何を思い、何を考えていたのだろうか?」という疑問だ。

身内のことで恥ずかしいが父はだらしのない人間だったと思う。毎晩ベロンベロンになるまで酒を飲んでは暴言を吐いたりその辺で転んだりして、家族…主に母に迷惑をかけ通しだった。
酒が飲めないなら死んだ方がマシだと言って、齢70を過ぎてもそんな生活を変えることなく過ごしていた。

あの日もいつも通り父は千鳥足になるまで飲んで寝床に向かい、私が父と会話したのはその時が最後だった。数時間後、酔いが抜けきらないままに救急車で運ばれた父はそのまま緊急入院することになる。
翌日の朝はまだ父は看護師と雑談を交わすことができたと聞いている。すっかり酔いから覚めた父は、自分が何故病院のベッドに横たわっているのかを理解しただろうか。その時に「このまま自分は死ぬかもしれない」という考えはあったのか、それとも程なくすれば退院できると思っていただろうか。
そこからすぐ容体は悪化した。入院から二日後、コロナ禍で当初不可だった面会が容体を鑑み許可された。我々の呼びかけに対して僅かに目線が此方に向くものの、それ以上の反応はない。父は自分の状況をどこまで理解していたのか。朦朧とした意識で我々の声を聞き何を考えていたのか。人は突然死の淵に立たされた時に何を思うのか。あの日酒を飲まなければと後悔したりしたのか。

わがままだけど痛いのも苦しいのも大嫌いだった父。家族には虚勢を張っていたが、本当は怖がりで弱虫であることを私はよく知っている。だって私は弱虫な部分が父とそっくりだからだ。
父が死を目の前にして何を思っていたのか、それは自分が死を目の前にした時に思うことかもしれない。
絶対に答えを聞くことができないその疑問を、湯船に浸かりながらぼんやりと反芻している。

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