ネトゲ「共感力の高さが人付き合いにおいていかに大切かを痛感した話」

共感力とは他人の考えや感情を理解し、その気持ちに寄り添うことができる能力のこと。

巷でよくある「解決を求めない相談」というのを聞いたことがあると思います。これは簡潔に言うと共感して欲しいのです。だから、解決のための提案やありがたいお説教などが忌み嫌われることがあるんです。

筆者が体験した出来事を振り返りつつ、何故共感力が必要だと感じたのかを述べたいと思います。


正論は時に人にとどめを刺してしまう


日々体験に基づいたメンタル記事を投稿している私にも悩みはたくさんあります。日々精進、日進月歩といった毎日です。あるときフレンドAに約束を破られてしまい、そのことでイライラしていました。

信頼しているフレンドBにそのことを相談すると
「詳細な時間を決めなかったお前が悪い」
「相手がどんなスケジューリングをしているか確認しなかったお前の責任」
「相手に期待するのがそもそもの間違い」
とありがたいお言葉を頂きました。
たしかにそうなんです。その通りなんですね。
何時にする?と一言聞いてない私にも責任があります。

私の場合、仲良くなり信頼すればするほど「この人は裏切らないから期待してもいい」と脳内で勝手に変換されて行き「信頼し合っているのだから約束を破るはずがない」という何の根拠もない保証が自分の中で生み出されていました。

そしてフレンドBに私は「悲しい気持ちになっている私を慰めてくれるはず」というまた間違った期待を寄せてしまっていたのです。

当然瀕死状態の私は相手が慰めてくれると思い込んでいたので
「自責だよな?」と理論武装した刃物を突きつけられとどめを刺されてしまいました。

周りのフレンドや友人が困りに困って相談を持ちかけているということは、それだけ良くない心理状態であるはずです。その相手に対して意見を尊重せず正論をぶちかますことは、「失神KOでダウンしている対戦相手の顔をマウントポジションで殴りまくっていること」と同じなのだとこの時感じたんですね。

この一件が共感力の重要性に気づくキッカケとなりました。


とにかく共感することが人間関係を良くする


先ほどの体験から世の中正論だけではやっていけないなと痛感しました。
共感するということは、相手の意見を尊重することであり
相手の意見を尊重するということは、相手の立場に立って気持ちを考えられるということに繋がると思うのです。

社会では仕事上いかに感情論が無駄で非効率的で、合理性が大切で尊い存在であるかを叩き込まれることがあると思うのですが、それに慣れすぎてしまっていると
「なんで◯◯しないの?」「◯◯すればいいだけじゃん」という
身も蓋もない言い方や考えがとっさに出てくるのではないかと思いました。

こういう合理性だけを重視してしまう思考はとにかく当たりがキツいんですね。そして「相手の心境や事情を完全に無視した論調」を少なからず生み出します。

つまり何が言いたいかと言うと
ネトゲなどのプライベートの人間関係でこれらの思考を持っていると
いろんな人と衝突する可能性が出てくるということです。

何かある度に正論をぶちかます人と話しているとまず疲労感が襲ってきます。そしてなにより、ぶつけられた側の人は自分自身を、人格を否定された気持ちになります。その結果関係がギスギスするというのは往々にしてあるからです。

ということは、全く逆のことをすれば良いのです。

相手の意見をまずしっかり聞く。そして何故そう思ったのか、何故そうしたいのか理解できるよう質問してみると良いかもしれません。

相手(相談を持ちかけてきている側)は深く理解しようとしてくれている姿勢に嫌な気持ちはしないと思いますし、聞いているこちらも相手の気持ちや行動原理を知ることが出来るわけですね。

ですからまずは具体的な方法論を議論したり提示するのではなく
しんどかったよね。悲しい気持ちになったよね。わかるよ。と
相手の気持ちに寄り添うことがとても大切です。
助けを求めて溺れている人に石をぶつけてはいけません。

相手の気持ちを汲んであげて落ち着かせ、一通りスッキリさせてあげたあとに「◯◯してみればいいんじゃないかな?」とパスタの上に添えてあるセロリのような感覚でアドバイスすると、相手もそこまで嫌な気はしないと思います。

それでも時にはダメだと言う優しさも必要


ここまでは相手を否定したり、正論をぶちかますことが人間関係を壊す可能性があるという話をしてきました。当たり前ですが、それだけではダメな場合もあります。

それはあなたの大切な人が「ルールから逸脱したとき」です。
ルールってなに?というと、定義は難しいですが

「コミュニティで定められたルールを守らない」
「法律違反」
「倫理観に著しく反するもの」
「公序良俗に反するもの」

こういうイメージをしてもらえればわかりやすいと思います。

そんなことしちゃいけないじゃないか!と時には怒ってあげることも優しさです。全肯定botが正義と言いたいわけではありません。
このときも相手に寄り添ってヒアリングをしたあとで
「これはしちゃダメだよな?」と伝えるのがスマートで素敵だと思います。

なんでもかんでも全肯定botになっていると
相手も善悪の判断がつかなくなったり、悪意がある人であれば付け上がってもっとひどいことをしてくるので結局自分がダメージを受けることになります。

もちろん言ってあげる優しさを見せるべきかどうかは相手を選ぶという意味でもきちんと判断しないといけませんが、心の底から大切に思っていて信頼出来る相手になら時には怒る優しさも必要だということです。


まずは聞いてみることが相手の解像度を上げる


相手のふとした言動でモヤモヤすることってありますよね。
筆者も自分の趣味嗜好を軽く否定されたり、ちょっとキツめの冗談を言われたり、キツい態度を取られたりいろんなことで引っかかります。

そういう時はなぁぜなぁぜ?と聞くことが大切なのではないかと考えています。まず相手の話を聞いてみないことには、その思考も心理もわかりません。

なんとなく「ああ、こういうつもりで言ったんだろうな」とか
ある程度の想像は出来るのですが、それはあくまで想像でしかないので
相手の言動でモヤってしまった時こそ
「どういう意図があってあのようなことをしたの?」と相手の考えを聞き、理解する努力をしてあげましょう。

その積み重ねで「この人はこういうのが好きなんだ」とか「こういうことをされると嫌なんだな」と情報が蓄積されていき、どんどん理解が深まり正しい距離感も図れるようになります。

人間関係や恋愛のいろはは、ある程度統計に基づいていたり
脳科学や心理学や精神医学的に証明されているものもありますが
「女だからこう」「男だからこう」「人間関係はこう」
パターン化して当てはめるのはよくありません。

そこで大事なのが「相手の話をきちんと聞く」「相手を見る」ということなのです。

相手を知らないのに恋愛はこうしてりゃいいんだ!みたいな
教科書通りの戦法ではなかなか上手く行かないのと同じで
攻略wikiを見れば簡単に勝てるゲームとはワケが違うということを理解しておくのが大切です。


以上、共感力が大切だと感じた話でした。
皆さんのネトゲライフがより豊かになりますように。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?