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野蒜ケ丘サスティナブルコモンズ①

最近、自分がよくシェアしている野蒜ケ丘サスティナブルコモンズとは、いったいなに?という人もたくさんいるだろうと思い、少し書いてみようと思いました。

野蒜ケ丘とは、宮城県東松島市にある、奥松島に近い高台移転地になります。

3.11の震災前は宮城県内でも有数の観光客者数を誇ったであろう海水浴場、野蒜海岸付近の地区の方たちが移転宅地する場所として造成されました。

JR仙石線の東名駅、野蒜駅も一緒に移転し、同じ移転地内にJRの駅が2つもある、稀有な住宅団地となっています。

そんな復興住宅と自立再建住宅が入り混じる地域に、野蒜ケ丘サスティナブルコモンズは誕生しました。

発端は、市の人たちがデンマークにおけるコレクティブハウスを視察したことから始まります。

「デンマークにコレクティブハウスっていうのがあってさー」

「いいっすね、やってみましょう」

たぶん、こんな軽い会話から始まったんじゃないかと思いますが、そこから茨の道がスタートします。。。

コレクティブハウスはデンマークが発祥で、当時の報告書を引用すると、

1960年代のデンマークやスウェーデン等では女性の社会進出が進み、これまで女性が家庭で担ってきた家事や育児などの生活の一部を、働く女性達を中心に居住者同士が分担して助け合うライフスタイルが生まれた。

そのライフスタイルを「コレクティブハウス」と呼ぶ。「コレクティブハウス」の特徴として、

①居住者が幅広い世代と多様な家族構成による集まりであること【多様な構成員】

②建物はプライバシーを確保した独立住戸と共有空間で構成されること【独立住戸+共用空間】

③食事や育児など生活の一部を居住者が分担し助け合うことを共通ルール(義務・役割)とする【相互扶助】がある。

コレクティブハウスはスウェーデン、デンマーク、オランダなどの欧州において始まったのち、アメリカを始め世界各国に広がり、特にアメリカにおいては、「コ・ハウジング(Co Housing)」と呼ばれ知られている。

とあり、一見シェアハウスにも見えるが、③の共通ルールについては一般的なシェアハウスにはないものとなります。

さて、これは実際どのように運営されているのだろうか、という訳で視察することになりました。

さっ、いざデンマークへと行きたいところですが、しがない地方の設計事務所の経費なので国内、関東の実例を視察しに行ってきました。

結論は、自分にはコレクティブハウスの生活は無理!でした。

現実、コレクティブハウスの住まい方は、発祥の地であってもメジャーではないので、言葉すら一般的ではない日本、それも宮城県東松島市ではどうあがいてもこのまま相互扶助を掲げた本場ものを移植するのは無理であろうと判断しました。

それ故に、いいとこ取りを画策します。

自分のように仙台や、はたまた移住希望で関東方面からの目線を持つ人たちにとって、東松島の魅力というのは石巻市(宮城県第2位の人口規模)に近い矢本周辺より、海、自然に近い野蒜、宮戸にあると思っていて、住みたいランキングもたぶんそうなのです(自分調べ)。

しかし、その魅力ある地は被災し移転しているため、賃貸住宅など住む所がないという物理的な問題も抱えているので、(自分が住むことを考えても)やはり賃貸住宅は必要であろうと定義します。

当然ながら、ふつうに賃貸住宅を作ったところでコレクティブハウスの要素はありません。

だったら、一緒にまちづくり(あまり好きな言葉ではないですが)してくれるテナントを誘致し、管理する人が常駐する一つの小さなタウンを作ろうというふうに妄想が膨らみます。

道路を挟んだ地区はこれから超高齢化が進んでいく復興住宅が多く、テナントに足を運んでくれれば間接的な見守り機能になるし、何より生活が多少便利になります。

で、その地域と賃貸の住人を繋ぐ企画や運営を行っていく人が常駐するエリア、となれば気負わずとも自然に緩く繋がるコレクティブハウス的なものをやっていけるのではないかと、まだまだ朧気ながら輪郭が見えてくるようになってきました。

まだまだ続く


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