インソレンスの日本デビュー・アルバムを仕掛ける
ヘヴィ・ロックにヒップ・ホップ、レゲエの要素を取り混ぜ、トライバルなグルーヴを生み出す超個性派ミクスチャー・ロック集団、インソレンス。メンバ―6人で、メンバー構成もリンキン・パークと一緒ですから、彼らの人気にあやかって、「リンキン・パークに続けとばかり、またしてもすごい奴らが現われた!」というアルバムのキャッチ・コピーで、行くことにしました。
インソレンスに目を付けたのは、この年に公開になったシルヴェスタ・スタローン主演の映画『ドリヴン』のサウンドトラックで、先行シングル「ポイズン・ウェル」を聴いたからでした。さらに6月にアメリカで発売となるニュー・アルバムの音を聴いて、これはいけるという判断をしたわけです。
インソレンスは、サンノゼ出身で、インディーからアルバムを出しながら、カリフォルニアでライヴを中心に活動していました。メック・ワンのラップがちょっとラガマフィンぽいというのが、このバンドの味でした。そして、このアルバム『レヴォリューション』は、プロデューサーのシルヴィア・マッシ―の力だったのか、サウンドと楽曲がとても良い仕上がりでした。輸入盤は6月に発売になり、予想通りとても売れました。そして、満を持して、8月8日に日本盤もリリースとなり、あれよあれよという間に、8万枚のセールスを記録しました。このバンドはワーナー系のマーヴェリック・レコードからのリリースでしたが、本国のほうが、なんでそんなに売れるんだと、びっくりしていました。リンキン・パークは全世界で売れましたが、インソレンスが売れたのは、本国を除けば、日本だけでした。
ビッグ・イン・ジャパン状態のバンドは11月だったと記憶していますが、クリエイティブマンの招聘で、初の単独来日公演が決定します。しかし、9月に悲劇的な事件が起きます。アメリカ同時多発テロ事件でした。この影響で飛行機が飛ばなくなりました。さらに、アーティストが飛行機に乗るのを恐れ、来日公演がキャンセルになったり、延期になったりしました。
しかし、バンドはそんなことはおかまいなしに来日しました。ベースのポール・ペリーは社交的で、とても仲良くなったのを覚えています。ドラムスでリーダーのアーマンド・カルデナスと名古屋で酒を酌み交わしながら、彼が僕に言ったことを今でも覚えています。「こんなチャンスはもうないかもしれない。飛行機で飛ぶことを恐れて、日本にツアーに来ないなんて考えられない」と言ったのです。アーティストにとって、次のチャンスはもうないかもしれない。だから今このチャンスにかけるしかない。そんな意気込みを感じました。東名阪のクラブ・ツアーは必ずしも満杯ではありませんでしたが、確かに、彼らは日本にインパクトを残しました。
結果的に、アメリカのセールスが不振だったために、彼らはマーヴェリック・レコードから契約を切られてしまいました。しかし、日本のセールスが優秀だったので、日本はバンドと直接契約して、2年後の2003年11月12日にアルバム『スタンド・ストロング』をリリースしました。そして、2004年初頭には、ソニック・マニアで再び来日しました。このアルバムも3万枚売れましたので、日本で多くのファンに愛されたバンドでした。
今でも、アルバム『レヴォリューション』はたまに聴くことがあります。やはり、ヒットしたアルバムというのは何か魅力があるもので、聴くたびに高揚した気分になります。きっとこのアルバムを当時聴いたファンの方も多くいるのではないでしょうか。
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