野球とアメフトの二刀流

昨日のディオン・サンダースから調子に乗って、二足の草鞋の選手の話をする。
今、大谷選手が二刀流ということで非常に注目されている。大谷選手は、二刀流ということでプロ野球というスポーツを別の次元に引き上げた選手だと思う。
二刀流が注目されている今、過去にも二刀流で話題になった選手を振り返ってみる。

ボー・ジャクソン
おそらく、二刀流の元祖といえば、この選手だと思う。彼は、高校の時から野球とアメリカンフットボールでめざましい成績をおさめていて、高校卒業時にドラフト指名を受けている。
ただ、彼はそのままオーバーン大学に進み、在学中にアメフトの最優秀選手賞であるハイズマン賞を受賞。当然、ハイズマン賞を受賞しているくらいなので、大学を卒業した1986年に1位指名!!!でタンパベイ・バッカニアーズに指名されるが、MLBカンサスシティ・ロイヤルズにも指名されまずはプロ野球選手としてキャリをスタートする。
1987年にメジャーに定着するが、その年に「趣味」としてNFLのロスアンゼルス・レイダーズと契約した。2つのプロスポーツ選手を兼業するアスリートの誕生だった。
彼は、NFLを「趣味」としていたため、MLBのシーズンが終了したら、NFLのチームに合流するという野球優先でプレイしていた。
それでも、シーズンが終わるとランニングバックだった彼の獲得ヤード数は、トップ10に食い込むほどだった。野球でもクリーンアップを打っていた記憶があるので文字通りスーパーマンのような印象を受けた。今大谷選手に持っている印象と同じく「規格外」の選手だったと思う。
ただ、1991年にアメフトの試合中に股関節を脱臼したことが原因で、人工関節を入れることとなり、結果としてアメフトそして野球も引退することとなった。
選手としては、非常に短命だったが、どちらのスポーツでもインパクトのある選手だったので、個人的には二刀流といえば、彼の印象が強い。

ディオン・サンダース
昨日も書いたが、彼はボー・ジャクソンよりも少し遅れた1989年にニューヨーク・ヤンキースに、同年アトランタ・ファルコンズとも契約をしている。ディオン・サンダースの場合は、アメフト優先だったようだ。
同じ時期に、二刀流の選手が二人も登場していたので、これからは本当にこういうことが当たり前の時代になったのかと思い、当時はかなり興奮したのを覚えている。
ディオン・サンダースは、アメフトのポジションは、コーナーバックという守備のポジションだったのだが、かなり優秀な選手でインターセプトをした時のアクションなども派手な選手だった。それだけでなく、普段の服装や言動も派手で、首からラッパーみたいな太い金のネックレスを下げるなどして「ネオン・ディオン」や「プライム・タイム」と呼ばれていた。
彼は、ワーストシリーズに2回、スーパーボウルにも2回出場し、ワールドシリーズとスーパーボウルの両方に出場した最初でかつ唯一の選手である。
彼の場合は、幸い怪我もなく選手生命を全うしている。そして今は、大学のアメフトのヘッドーコーチとして活躍している。
その後、2018年にカイラー・マレーという選手が、オークランド・アスレチックスとアリゾナ・カージナルスから指名されて、久しぶりの二刀流選手になると思われたが、アメフトに専念している。

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