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君の手を掴むことができなかった頃の話 #呑みながら書きました

隣に座っているのに、遠かった。
自分の視界は、ぼんやりと滲んでいた。

なぜそんなに想ってくれるのか。
こんな大した価値のない自分をどうして。

そう、ずっと、思っていた時期がある。

いままでに伸ばしてくれた手を掴むことができなかった人が、二人いる。どちらの人も、自分以上に自分のことと自分との未来のことを考えてくれていた。

夜一人になったとき、ふとどうしてその手を掴むことができなかったのかを考えてしまう。

どうして先のことを考えないの?
やりたいことは二人でできないの?
その未来に行ける保証はあるの?

心配してくれる質問をたくさんもらった。その一つ一つにできる限り丁寧に答えたつもりだったけど、当時の相手が納得することはなかった。

それらの答えと姿勢に説得力が帯びなかった理由は、つまるところ、自分のことを大切にすることができなかったからだと思う。


どうしてそんなに焦ってるの?
それは後でもできるんじゃない?
本当に、それはできるの?


それらの言葉をもらったシーンは、とてもよく覚えている。自分には見えないはずの自分の表情や感情の色まで、はっきりとイメージできる。


当時の自分がかけてもらいたかった言葉は、きっと、後押しをしてくれるような言葉だったと思う。

強くなりたくて強がっていて、その実、中身のない空っぽな自分を隠そうとしていて、とても不安で臆病だった自分。

一人で生きていくことが怖くて、自分がどれだけ無茶なことを言っても、応援してくれるような存在が欲しかった。


ただその関係があまり健全でないということを、いまならわかる。


求められるこえを期待して、応えて。応えてくれることを期待して、求めて。お互いがお互いなしでは成り立たないような状態だった。

違う道を歩くと決めたときの二人は、ぼくも含めてぼろぼろだった。お世辞にも良い別れ方だったとは言えない。

後悔しているわけてはないけど、あのとき取れなかった選択肢を考えないかというと、嘘になるのかもしれない。

たくさんの失敗をしてきた。
徒労もなく無駄な努力をしてきた。
誰にも絶対に言いたくないことがある。

だからこそ、いま近くにいる大切な人たちとは、できるだけお互いを配慮して尊重し合えるような関係になりたいと、強く願っている。

リターンを期待する関係ではなく、できることをこちらからしていきたい。同じ未来をみながら、できることを重ね合わせていきたい。近寄ったり離れたりすることに寛容でありたい。

お互いの未来と未来が重なる場所を見据えながら、お互いがお互いのことを想い続けられるように。伸ばしたその手をいつでも掴み取ることができるように。

そのために自分からできることはしていきたい。少なくても自分から手を伸ばすことは、やめたくない。

困難なとき、手を伸ばすことができるのは一瞬だけだから、その一瞬を逃したくない。

君は自分から席を立たないよね。
たくさん話してくれて、ありがとう。

人に向き合う姿勢を持っていることは、強さであり弱さでもあると思う。

人と人との関係性を整えるられることもあるし、わかり合えなさにせつなさを感じることもある。

それは信念のようなもので、いつどんなときも自分から発せられるものだ。個性のようなものは、どんなに隠しても出てきてしまうものだ。

その強さなのか弱さなのかわからないあいまいだけどたしかにあるものを抱えながら、今日もまた人に向き合う。

君の手を掴むことができなかった頃の自分に伝えたい。

未来の自分はそんなに悪いものではないことを。つながりの危うさを知った上でなお、自分から手を伸ばすことができるようになったことを。

TOP画像は、teamラボの展示。美しい世界に切なさを感じた。


最後まで読んでいただきありがとうございます。