浅間明月記9


コロナ禍の前は祖父母も孫娘の卒業式に出席することができた。
小学校の式典で卒業生が合唱に選んだ歌はレミオロメンの3月9日
だった。

 6月28日A社の株主総会が終了した。51年3か月間の会社生
活からの卒業だった。団塊の世代として1972年にB社に入社し
39年3か月後に退社、直後に社外役員に就任その後縁あって12
年間に複数社の社外役員に就任した。
 1972年当時B社の定年は55歳でその後5年間の再雇用が選
択制だった。55歳まではフルに働きその後の5年間は少し気を抜
いて60歳で退職して課役から解放されることを人生の時間割と考
えていた。
 当初の想定より14年長くなったが、世の中は半世紀近く働くこ
とが求められる高齢化社会に入ってきている。

 卒業に備えて、新たな時間割を検討してきた。必修科目の愛犬の
散歩・庭の手入れ、選択科目として73歳から始めたゴルフ・20
年振りに再開したボーリングや必酒科目の友人との会食など課(家)
外科目が多くなった。退職後は晴耕雨読の生活を想定していたが、
読書の時間が少ない。時間がないのではなく気持ちが向かなくなっ
た。次の雨の日には読書を楽しみたい。

 半世紀持続的な負荷がかかり肩凝りが常態化する時もあった。そ
のストレスから6月28日に解放された。
 逆に無役になったことの喪失感に襲われることがあるのかと思っ
ていたが、何事もなった。
 ただ無役になったことで今後の家事のシェアーについて妻の期待
・要求が増えることは覚悟せねばならない。
 新たなストレスにならないよう心穏やかに生活してきたい。



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