1996年からの私〜第15回(02〜06年)闘龍門とDRAGON GATE②北京遠征が生んだ奇跡
ROH、PWGで輝くDG
最先端プロレスと称されるDRAGON GATE(以下DG)のプロレスは、言葉の通じない国でも、圧倒的なパフォーマンスでファンを魅了していました。2006年は3〜4月にROHのシカゴ&デトロイト大会とヒューストンのDGアメリカ支社の取材、9月にPWGのバトル・オブ・ロサンゼルス、そして12月には中国・北京での自主興行を取材。どれも強烈な印象が残っているものばかりです。
ROHは全世界のプロレスファンが注目するレッスルマニアウィークの中での大会。ここでDGは純血メンバーでの試合を提供しました。当初は日本人だけの試合に難色を示されましたが、「絶対にすべての観客を満足させる」と強行し、大熱狂を生み出しました。
実はこのとき、選手たちが乗るデトロイトからシカゴに行く飛行機の予約に手違いがあり、代わりの便を確保できないというトラブルがありました(私とカメラマンは別便)。試合に穴を開けるわけにはいかないため、選手たちはレンタカーを手配し、道を調べて自力で会場に到着。ウォーミングアップもままならない状態で試合に臨んだにもかかわらず、熱狂空間をつくりだしたのです。
基本的にROHの試合はスタートが20時くらい(日本のようにきっちり決まっていない)からで、グッズ販売のため休憩時間も長くとるため、全試合が終わると深夜0時を回ります。そのため食事は良くてファミレス。ファストフードのテイクアウトやコンビニのパンでもやむなしです。
私の入稿作業はホテルに戻ってからで早くて深夜1時開始。次の地への移動までに終わらせなければならないため、ホテルで眠ることはなく、海外出張時の睡眠は移動の飛行機の中だけでした。それくらいのスケジュールであり、飛行機は貴重な睡眠時間。飛行機トラブルでレンタカー移動した上で、圧巻のパフォーマンスを見せる選手たちの逞しさに心底感心しました。
9月のPWGにはCIMA、ドラゴン・キッド、堀口元気の3選手が参戦。バトル・オブ・ロサンゼルスは16選手参加のトーナメントで、優勝したデイビー・リチャーズをはじめ、エル・ジェネリコ、ケビン・スティーン、コルト・カバナ、クリス・セイビン、マット・サイダル、クリス・ヒーローら錚々たるメンバーが名を連ねていました。
この大会の準決勝でおこなわれたCIMA対ジェネリコ戦は、技のクオリティ的にも、魅せるパフォーマンス的にも、試合後の余韻的にも、会場の盛り上がり的にも最高の試合でした。同年のプロレス大賞ベストバウトはNOAHの丸藤正道対KENTA戦でしたが、両方を見た私としてはCIMA対ジェネリコがベストバウトです。それくらい素晴らしい大会を見させてもらいました。
プロレス文化がない中国で自主興行
こうしたアメリカ遠征とはまったく趣が違ったのが12月の北京での自主興行です。DGは前年にも中国での大会を開催していましたが、このときの大会は北京体育競技管理中心が認可した初のプロレス興行ということで、中国国内での注目度が前年とはまったく違いました。大会前には記者会見も開かれ、現地のお偉いさんのような方々がかなり手厚く迎えてくれました。そして取材で困ることがないようにと、翌年から京大に留学するという学生を私の通訳につけてくれました。
大会前日の記者会見の後、日本からはマスコミも取材に来ていると紹介され、現地の取材陣からプロレスとは何なのか?という私への囲み取材の時間がなぜか設けられました。そのとき、一人の若者が日本語でこんな質問をしました。
「UFCはリアルファイトですが、WWEはフェイクファイトです。DGはリアルファイト、本物なのでしょうか?」
かなり真剣な様子で迫ってきた彼に私はこう答えました。
「本物か偽物かはここで私が何か言うよりも、明日の選手たちのパフォーマンスを見てもらうのが一番だと思います。きっと彼らのパフォーマンスに驚くことになるでしょう」
イエスともノーとも答えない私に、彼は不満げな様子でしたが、前日記者会見は無事に(?)終了したのでした。
大会はDGの自主興行であり、普段着のままですが、選手たちの目まぐるしい攻防に驚きの声があがり、ストーカー市川のユーモアを交えた試合には客席が笑いに包まれ、最後は少林寺姿で登場したCIMAがハッピーエンドに導く。会場は何とも言えない温かな空気となり、爽やかなエンディングを迎えました。
大会終了後、前日の記者会見で質問をした若者が私のもとにやってきて、興奮気味にこう言いました。
「あなたの言ったことは本当でした。DGは本物でした。素晴らしかったです。感動しました」
こうして北京遠征は幕を閉じたわけですが、この話には後日談があります。
時は流れ2017年。北京大会から11年、私がBBMを退社して7年もの時が過ぎています。ある日突然、私が編集長時代に週プロのバイトとした採用し、のちにBBMの社員となった山口カメラマンから電話がありました。急に何事かと思って応対すると、中国で旗揚げされたプロレス団体・東方英雄伝の日本大会の記者会見があり、一人の選手から私宛のメッセージを預かったというのです。
「東方英雄伝のハセガワという選手が佐久間さんの名刺を持っていて、ぜひお礼を伝えてほしいと言っていました。DGの北京大会で佐久間さんと会って、DGの試合を見たことで人生が変わったからお礼がしたいと言っていました」
そうです。あの時「DGは本物なのか」と私に聞いてきた若者が、7年の時を経てプロレスラーとなり、日本にやってくるというのです。大会後、私は「DGの選手たちは体が小さくても夢を諦めなかったから、プロレスラーになれた。本気で夢を追いかけるなら、できない理由は探さなくていい」というような話をしたそうです(覚えてません。すみません)。その話を聞いてハセガワ選手は体を鍛え始め、プロレス文化のない中国で、プロレスラーになるという夢を叶えたのでした。
この話を聞いたときは本当に驚きました。それと同時に、とても嬉しくもありました。人生はどこでどうつながっていくかわかりません。初対面の異国の人間が言った言葉を、彼は本気で聞いてくれたということ。そう考えると、どんな出会いも大切にすべきだなと改めて思ったしだいです。
つづく
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