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NOSAWA論外のちょっといい話

2・21東京ドームでおこなわれる武藤敬司引退興行『LAST LOVE-HOLD OUT-』は、団体の垣根を超えたプロレス界のビッグイベントととなりそうです。武藤敬司vs内藤哲也、清宮海斗vsオカダ・カズチカ、中嶋勝彦と宮原健斗の再会など、多くの注目カードがラインナップされています。これらのことはあちこちで語られると思うので、ここでは同日に引退するNOSAWA論外選手について書いていきましょう。

NOSAWA選手の印象は、曲者、アウトロー、小悪党、策士、お調子者……といったところでしょうか? 優等生タイプ(自分で言ってすまん)の私とは真逆のタイプですが、彼は私にとって思い入れの強いレスラーの一人です。初遭遇は20年以上前、2002年のメキシコでした。

同年、闘龍門担当となった私は闘龍門自主興行の取材のため、初めてメキシコを訪問しました。このとき、NOSAWA選手は盟友のMAZADA選手とともにCMLLのトップルードの一角として活躍していたのです。97年デビューなのでこの時点でキャリアは5年。名前だけは知っていたものの、日本で試合を見たことはなかったので、異国の地で対戦相手も観客も手玉にとる、堂々たる、それでいて小賢しい試合ぶりに驚きを覚えました。

NOSAWA選手は試合だけでなく、クレイジーMAXの面々と過ごすプライベートタイムでも現地をいろいろ案内してくれて、初のメキシコを有意義に楽しむことができました。

帰国後、私は「編集部発25時」という現場記者の持ち回りコラムで、NOSAWA選手とMAZADA選手のことを書きました。遠く離れたメキシコで、奮闘する日本人選手がいることを多くの読者に知ってほしく、現地で感じた彼らの素晴らしさを結構な熱量で書き記しました。

後日、週プロの記事を見たというNOSAWA選手からメールが届きました。

「今まで日本では誰からも評価されたことがなくて、初めて自分がやっていることを評価してもらって本当に嬉しかったです。いつか日本で試合ができるように頑張ります。ありがとうございました」

当時は自分もまだまだ下っ端で人から評価されない時代。NOSAWA選手からの感謝のメッセージは自分にとっても大きな評価でやる気につながるものであり、感謝したいのはこちらも同じでした。

全日本プロレスへの参戦が決まったときも帰国の報告と「すぐにクビにされないように頑張ります」とメッセージをもらいました。日本定着後の活躍は今さら語るまでもないでしょう。

2009年、出会ったときは下っ端だった私は編集長となり、彼は日本最古のベルト、アジアタッグ王座を獲得。そのときも「あのとき佐久間さんが書いてくれたからです」と感謝を伝えられました。何年も前のことであり、のし上がったのはNOSAWA選手の実力です。それにもかかわらず、繰り返し感謝を伝えてくれる彼の人柄の良さを感じていました。

2010年に私が週プロを離れてからも、彼は事あるごとに感謝を伝えてくれました。昨年、私の友人がNOSAWA選手と食事の席で一緒になった際も、「佐久間さんにはめちゃくちゃ感謝してるんだ」と語っていたことを聞きました。今の私はプロレス界を離れているので、彼に直接のメリットがある存在ではありません。損得とか関係なく、しかも私のいない場所で、20年も前の出来事を今でも恩に感じてくれている。それを知ったときは心の底から嬉しく感じました。私にとっての彼は、曲者でもアウトローでもお調子者でもなく、グッドガイ(グッド・ルッキング・ガイではない)です。

NOSAWA論外というレスラー像から考えると、あまり人柄のいい話はするべきではないと思い、控えていましたが、引退間近の今ならもういいでしょう。2月21日には武藤選手だけでなく、NOSAWA選手も大きな拍手と歓声で送り出してあげてほしいと思います。

(画像提供:プロレスリング・ノア)

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