マガジンのカバー画像

1996年からの私

32
週刊プロレス7代目編集長・佐久間一彦が、三沢光晴、小橋建太、髙山善廣らプロレスラーに学んだ日々の記録。
運営しているクリエイター

#マスコミ

1996年からの私〜第22回(09年)2009年6月13日からの激動

2009年6月13日プロレスファンにとって「2009年6月13日」という日付は、記憶に刻まれている数字でしょう。三沢光晴選手が試合中に命を落とした、忘れたくても忘れられないあの日です。 前年の秋以降、急激な部数低下を受け、常に数字と向き合う日々が続いていました。この年は表紙になるような大きな試合がない週も多く、頭を悩ませる毎日。ただ、6月第2週は表紙候補のネタがありました。全日本6・10後楽園大会で、船木誠勝選手のプロレス復帰が決定。武藤敬司選手とのツーショットは表紙候補の

1996年からの私〜第23回(09年)人の不幸はビジネスチャンスなのか?

筋が通らないことはしない三沢光晴さんの訃報を伝えた本誌は、発売と同時に売り切れ店が続出し、週刊誌としては異例の増刷。さらにその後に発行した追悼号も瞬く間に売り切れ、こちらも増刷することになりました。 本来、自分たちがつくったものを多くの人の手にとってもらえるのは嬉しいことです。しかし、このときはやるせない思いでした。第21回で書いたように、この3カ月前、三沢さんと最後に飲んだときに、私は売り上げが落ちて苦しいと愚痴をこぼしてしまいました。それが三沢さんの訃報によって雑誌が売