性善説か性悪説か
性善説…本来人は善であるが生きてく中で悪を覚えるとする考え方だが、実際のところはどうなのだろうか。母は、性善説で人を見る。見てしまう。私もまた同じくである。
根っからの悪などあり得るのだろうか?
父が倒れてからいくつの病院のお世話になっただろうか。その都度、母と私は二人で色々なことを決めたり、人に会ったりすることが多くなった。病院は基本的に好きじゃないし、信用していない。信用などできないとさえ思っている。
だが、新しい病院や先生、看護士、ケアマネジャーなどで会うたびに、
「今度はいいみたい。」
と、先ほどのまでの警戒心はどこへやら。二人で一先ず安心する。
暫くすると、何かしら事件が起こり、
「今度も最悪だったわ。」
と、今度はたちまち評価が下がる。恨み節まで飛び出す始末。
こんなことを何度も繰り返し、そのたびに
「すぐに人を信用したら駄目ね。」
と、今度は自分を責め始める。
「おひとがいいのもアホのうち…だわ。」
何年もたってから、中でも長くお世話になったふたつの病院が、実は近隣の病院の中でワースト1位と2位だと聞かされた時の落胆と言ったらなかった。が同時に、「やっぱりね。」とも思い、今までのモヤモヤがスッキリしたものだった。
病院も先生も看護士も、出会う人すべて、そんなにコロコロと質が変わるわけではない。ただ、こちらの受け取り方や印象が変わっているのだ。
「いい病院だ」「いい人だ」
と、こちらが勝手に思い込んでいるだけなのだ。
「まさかこんなことされるとは思っていなかった」
「まさかこんな人とは思わなかった」
そう言って嘆くが、実際は、
「こんなことするかもしれない病院」
「こんなことするかもしれない人」
だったのだ。
自分はそんなことしないから、人もそんなことしないはず…そう思ってしまう。だが、自分と同じように人も考えるかどうかは分からない。同じかもしれないが、違うかもしれないのだ。勝手に同じだと決めるからいかんのだ。
「根っからの悪はいるのかもしれない。」
と、思っている方が後々、衝撃が少なくて済む。
性善説より性悪説なのか?
近頃母は人の見方を変えたようだ。
「両方の人が存在するのかも。」
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