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水曜日のひだまり 無から教わる自由

水曜日の授業が終わると、テキパキと片付けて先生と大学を後にする。行く先は先生の古い友人の個展だった。先生は絵描きは嫌いだと言うが、その友人と言う人は絵描きだった。
Kさんは先生よりも図体が良くて、若い印象だった。Kさんの描く絵は至ってシンプルな画面だった。烏口を使って直線を描いていた。その直線は細く、少しづつ微妙に色や角度が変えられていて、絵の中に吸い込まれてしまいそうになったり、どこまでも続いているように見えたり、立体的な形に見えたりと、どの絵もとても興味深かった。錯視の世界だった。
「この人は画家やけど、好きなんや。」
「お。僕も画家は嫌いやけど、この人は好きや。」
そう言って、二人は笑っていた。
「この人の絵はよう売れるんやで。」
「何言うてんねん。ほんまやけど…。」
そう言って、また笑った。
自分の絵が売れない理由は分かっていると先生は言った。
「部屋に飾りたないもんな。君だって、彼の絵の方を飾りたいと思うやろ?」
と、酷な質問をした。確かにそうだった。先生の絵には静かな怒りの中の緊張感が漂っていたからだ。とても怖いのだ。Kさんの絵にも緊張感はあるが、感情的なモノがない分、穏やかにさえ感じた。
じっくりと絵を楽しんだ後、二人の老人と小娘が大阪の夜の街へと歩き出した。軽く食事をした後、いいところへ連れて行ってやると、最上階のラウンジへと誘われた。
「この人な、他所に彼女がおってん。だから色っぽいとこよう知ってる。」
不意に秘密をバラされてKさんは大慌てだったが、全く不快な気分にもならず、私は面白がった。Kさんはきっとモテたと思われた。しかしながら、今は二人とも、酔ってヨチヨチヨタヨタと歩く老人だった。
Kさんは、若かりし頃、日本の画家や絵の世界に嫌気がさして、ヨーロッパの絵をみたいと、あちこちを旅行したのだと言う。
「はじめは良かってん。すごいなぁてな。それでもな、ずーっと見てたらあかん!と思ったんやな。なんでやと思う?」
皆目見当もつかなかった。
「吐き気がしたんや。」
最初は素晴らしい!と食い入るように見ていたらしい。画集でしか見たことが無かった絵画を目の前にして感動しかなかったのだと。それで、次々と見歩き、何度も何度も見ているうちに、それがいつしか見ていると気分が悪くなった。それらの、祈りや悲しみ喜び、神に縋る者、背く者、欲…人の感情の諸々に飲まれそうになったからだと言う。ずっとそこに身を置いていることが出来なくなったのだと言う。
「そっからな。よし!もう一切の感情は絵に入れるまい!と決めた。」
ただ、ひたすらに線を引く。一番シンプルだと思われる直線、それだけで絵を描いているのだと。それがK先生の書く意味だった。
吐き気がした…というのには衝撃だった。が、話を聞くうちに少しわかる気もしていた。
私は立体作品を作っていて、何だか分からないモノや自分に対して、怒りや悲しみがいっぱいで、それをエネルギーにして作ることに没頭していた。出来上がった後は爽快だった。グチャグチャした色々を全部吐き出したからだと思う。美とはそういうものだと思っていて、それに疑問さえ感じずにいたが、少し考えていたことがあった。見た人にその負のモノが乗り移るようなことがあったとしたら、嫌だな…と。Kさんのいうことは正しくそう言うことではないのか?と思ったのだった。
Kさんは描いている間、「無」だと言った。それは、とても日本人的だと感じた。そして、その「無」で制作するということにとても共感している自分が少し顔を出した。工芸にもいろいろあるが、その日本人的な「無」の感覚は工芸の考え方に近いと思った。
元々、私は工芸学科で織物や染物を学んでいたが、卒業した後、美術学科の助手を選んで、その仕事の中で先生の担当にもついていたのだった。工芸では歴史や技術という枠に縛られて制作することが窮屈で、用と美の狭間でグラグラ揺れてどこにも収まらない自分は工芸ではなく、美術の自由さの中の方があっているのでは?と考えてのことだった。今でこそ、正倉院展で見られる美術品を素晴らしいと思ってみているが、工芸と言いながら用が二の次になっている作品を多く見て、当時の尖った私は、絵を描くなら布でなくてもいいのでは?などと反発していたのだ。自由を求めて美術学科へと足を踏み入れたが、第一担当の教授はデザインの基礎を教えていた。またしても、縛りのある世界だったのだ。
「自由とは、自らが由とするもの。」
何でもありでは決してなく、自分の物差しが必要だと教えられたのである。何もしない教授の代わりにすることが山積みで、作品など作る時間も無くなっていった。作品をつくることから冷却期間を与えられたようなものだった。制作意欲が冷めて、人の作品をよく見るようになっていた。それで、作者の負のモノが乗り移るようなことが度々あったり、たまたま画廊に来ていた作家に会ってげんなりすることもしばしばあった。美術の世界のどろどろした部分の話を耳にしたりしてウンザリすることも多々あった。
憧れた世界だったが、私には只々騒がし過ぎた。自由過ぎるのも考え物だ…と思うようになっていたのだ。
Kさんの描く絵は全く騒がしくなかった。自由さもないが心地が良かった。美術だの工芸だのは関係ないと思った。
二人の先生の絵は言わば、正反対ともいえる。Kさんの絵が「無」なら、先生の絵は「有」だ。が、二人の絵にはどちらにも品があった。それは、制作活動の枠を超えて、なくてはならないものだと思う。
二人が夜の街をゆらゆらと歩く後ろ姿を見ながら、
「自由だなぁ」
と思った。
自分の居場所とか所属とか、そんなものは「自由」に関係ないのだと気づいた夜だった。

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