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大人の秘密

観光客が賑わう駅の表側とは打って変わって、駅の裏側には地元の人の日常があった。古びた駅ビルから続く商店街を抜け、アスファルトの無骨な地面を足裏に感じると一旦人通りは減っていく。ここが表と裏の境目だ。
高架下の商店街はシャッターの降りたところが多いが、商店街の先には市場があり、八百屋や魚屋、果物屋、おもちゃの卸店等が並んでいて、駅の表側とは別の活気があった。みんな顔見知りだ。
夜になるとそこはまた一変する。昼間賑わう店のシャッターが下り、代わりに高架下の寂びれたスナックの看板がぽつぽつと灯っているだけの十字路になる。
その十字路のひとつの角に小さな薬屋はあった。今のように24時間営業している店もなく、コンビニやドラッグストア等なかった頃だ。11時過ぎまで開けていたその小さな薬屋の灯りはその界隈をひと際照らした。

夜9時、夜のヒットスタジオが始まる頃、大人は子供を寝かしにかかる。店が閉まるまでの数時間は大人の時間となるのだ。促されるまま後ろ髪をひかれながら子供はミシミシと二階に上がる。そのままバタンと眠れる日がほとんどだったが、いくら子供と言えど、眠れない日もある。その日はその何故か眠れない日であった。

カコンッ…ガラガラガラガラっと重く錆びたシャッターを下ろす音が聞こえた。いつもなら、しばらくすると大人がミシミシと階段を上がってくる。ちゃんと寝てなければ…と目を瞑ったがどうしても寝れなかった。
まもなく終電も過ぎ、店の外は暗く静まり返っている。時折、酔っ払いの小競り合う声が静寂を破る。ろれつの回らない酔っ払いの喧嘩は大好物だった。そっと布団から抜け出して二階の窓から覗き込んだ。少しレロレロと通じない言葉を発した後、二人の男はお互いに罵声を浴びせながら、別々の方向へふらふらと散って行ってしまった。困ったことにお陰で完全に目が冴えてしまった。

すると、静けさの中から遠くでラッパの音が聞こえた。はじめて聞く音だった。何だろう?そう思っていると、少しづつ近づいてくるのが分かった。何やら一階が慌ただしい。カチャカチャっと食器の重なる音と笑い声。
ガラガラガラガラっと閉めたはずの店のシャッターが小気味よく開いた。窓から見下ろしてみるが死角になっているようだ。ぼんやりと明るいだけで全景が分からない。一階で何かが起こっていることだけははっきりと分かった。でも、笑い声が聞こえるということは悪いことではなさそうだ。一体何を…。不安と好奇心が揺らいだ。
ガラガラガラガラっと再びシャッターが閉まる音が聞こえる。もう居ても立っても居られず、ゆっくりと静かに階段を下りていく。古い木の階段は油断をすればミシミシと音を立てる。決してバレてはならない。ゆっくりと重みをかけて片足ずつ下りていく。漸く暖簾の隙間から食卓が見える位置までたどり着き、見たものは…。
大人が湯気のたつラーメンを美味しそうにすすっている姿だった。
「ずるい!」
あれだけ忍び足で下りてきたというのに、そんなことは一瞬で忘れていた。なんと!ラーメンを食べているではないですか!大人はびっくり仰天して叫んだ後、バツが悪かったのか大笑いした。
「なんで起きてくるのよ~。」
その夜、初めて夜泣きラーメンを頬張った。
こんなに美味しいラーメンを大人は食べていたのか!しかも、子供を寝かせた後に内緒でコソコソと!と腹が立った。と同時に大人の仲間入りをしたようで嬉しくもあった夜だった。

夜も更ければ真っ暗になる駅裏の十字路は、時々小さな薬屋の窓明かりが、笑い声と共にぼんやり照らしていることを知った。それは、決まって夜泣きラーメンのラッパの音が聞こえた夜だった。

木枯らしが吹いた夜、思い出すのはあの夜泣きラーメン。

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