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水曜日のひだまり Vol.3 先生と数字

いつも先生の質問にはドキリとさせられた。素直に答えてその答えをどうとるんだろう…?そう思った。私を見る先生の目が真っすぐすぎるからだったのだと思う。
人がその人と話す時どこを見ているだろうか?きっと大方は目だと思う。でも、目は必ず二つあるのでどちらの目を見るかと、右、左…とわずかに動くことはないだろうか?勿論、大雑把にぼんやりと鼻とか口とか、その人の顔の気になるところを見ながらの時もある。
先生は、瞳が動かなかった。たぶん右か左のどちらかに絞って見ている。そして、その瞳の奥の奥まで入り込んでくるように見る。少し怖くもあって、辛抱堪らず目を逸らしてしまうこともしばしばあった。先生はそれを面白がっているのではないか?そう思わないこともない。
講義は朝一番から始まってお昼に終わる。
「ほな、行く?」
と茶目っ気たっぷりの目で言う。学生が少ないホールの奥にあるカフェにお昼を食べに行く。学生が少ないのは他の学食に比べると少し金額が張るからだ。広々とした空間はコンクリートと木のテーブル、織物のタペストリーや染物、絵が飾られていた。入り口近くになるとコーヒーのいい香りが漂ってくる。水曜日のお昼はいつも先生がそのカフェでご馳走してくれた。
「好きなもん頼み。」
もう、孫のような扱いである。
コーヒーが運ばれてくるころ、唐突に質問が飛んでくる。
「君、数学好きか?」
私は昔っから数学が代の苦手。嫌いだった。数学のできる人に憧れた。いかにも賢そうに思えるからだ。小さい頃、祖母の薬屋での私の遊び道具は古びたそろばんだったけど、手が器用に動かせるだけで肝心の計算は苦手だった。只、何故か証明の問題だけは解けた。算数、数学…そう言う言葉それだけで苦手意識が湧いてくる。
「苦手です。」
「おもしろいで。数字…。」
ん?『数字』…?
それから、いくつかの数字の不思議話を話し出した。
私が数字を見直した瞬間である。
算数とか数学とかはそもそも数字。そんな当たり前の事をすっ飛ばすくらいに、私は数学を拒んでいた。先生の話す数字の不思議は、きっと生活において役には立たない雑学だった。この不思議と面白さを知っていれば、それを切欠にして、もっと数学好きの賢い乙女になれただろうに…。悔やんでも悔やみきれない後悔である。
時々、先生は私のモノの見方や考え方を見事にぶち壊してくれた。

数字の不思議話は、ちょっと怖くもあった。数字を規則正しく足したり引いたり…計算して答えを並べたら、全部が『1』となるとか、『1234』とならぶとか…。不思議でしょうがない。飲み会でおじ様達が饒舌に語っている姿が浮かぶほど、「へ~」な雑学でしかないけれど、数を生んだ人がいて、それは十進法であって、「0」という概念が存在して…と考えていくと、ちょっとすごいけど怖い。占い師の人が数字をよく使うことも考えると、数字は不思議だけれどちょっと怖い。
先生と同じ。面白くて不思議だけどちょっと怖い。
数字も先生も、何か本当の本当の本当の真実を知っているかのようだ。

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