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心をとかした歌

「もう、泣けなくなってしまったみたい。」
どんな歌を聴いても、感動モノの映画やドラマを見ても、琴線にふれなくなってるみたいだとパーキンソン病の母が言う。
「こうなったのは私のせいだ…。」
「私があの時あんなことをしなければ…。」
そんな風に自分を責め続けて、大小さまざまの罪をたくさん積み上げて、その罰としてあらゆる欲望を自らの手で閉ざした。その結果、彼女の脳からドーパミンが消えていったのだ。
誰が悪いわけじゃないことだし、そんなに自分を責めないでもと周りは思うのだが、本人にしか分からない思うことがあるのだろう。それにしても自分に厳しすぎるように思えてならない。自分は完璧主義者ではないと言うが、傍からはそう見える。

父が亡くなった日も彼女は泣かなかった。ただ、薬さえ飲めば普通に過ごせるはずの体は、薬を飲んでも硬く動かないでいた。
漸く永かった介護生活を終えることができたのも束の間、病気でも寝たきりでも主人が先に亡くなると、残された妻と言うのはこんなにも生きにくいものか…とまざまざと知らされることとなる。思案した彼女は、私の誘いも「皆が窮屈になるのは嫌!」と断固断り、身の丈にあった家に引っ越すと言い出した。
落ちつく間もなく動き続けた。
「まだまだこれから!元気に生きなくちゃ。」
そういう彼女は、言葉とは裏腹にとても力なく小さかった。
「泣きたいけど、泣けない。」
そう、小さく言う彼女が悲しく愛おしかった。何もできないことが歯がゆく思えた。ただ、時が過ぎゆくのを彼女の傍で待つしかなかった。

「音楽を聴くことはいいらしいよ。」
妹が言うので、彼女の好きな古澤厳のバイオリンを流してみたり、買い物へ行く車ではiPodの曲をランダムに再生した。こうして、日常を穏やかに過ごしながら、少しずつ心をとかしていけばいい。いつ、何が切欠になるかは誰にも分からないのだから…そんな風に日々を過ごしていた。


引っ越しも漸く落ち着いたころ、少し遠くまで出かけた帰り道だった。
彼女は助手席に埋もれるように座っていた。

その日iPodが選んだアルバムは、Mr.childrenの『blood orange』だった。
車の中は静かになり、桜井さんの声が車中に響いていた。
しばらくして、「end of the day」が流れると彼女は突如、両手で顔を覆うと声を上げた。私はその声に驚いて、「何?!」と、前を気にしながら助手席を見やると、年の割に皺の少ない艶々の顔をしわしわにして彼女が泣いている。運転席からその横顔を見て、涙をこらえた。ボリュームをふたつ上げ、いつもよりスピードを緩めて走った。

小さな肩を大きく揺らし、わんわん泣いた。
そうそう。泣きな。いっぱい泣きな。
病気だってなんだって、生きてなよ。
心を殺しちゃだめだよ。


まさか、Mr.childrenの曲で、「end of the day」という軽快なリズムの応援曲が、年老いた彼女の琴線に触れるとは夢にも思わなかった。
音楽に国境も無ければ年も性別も何もないのである。
後から聞けば、歌詞がキチンと耳に入ったわけではなかったという。でも、後でその歌詞を読んで納得した。こうやって永い間踏ん張ってきたんだ。
ありがとう。彼女の心をとかしてくれて。

これまでとは一味違った新しい朝、新しい年がまたはじまる。
皆様も暖かい光がいっぱいの新年をお過ごしください。


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