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大きな扉が開かれた

あっという間にもう二月も終わりに近づいていて、時間の速さに驚いている。ここのところ、noteを開くことすらしなくなっていて、いかに自分に余裕がないかが伺える。時間の余裕というよりは精神的な余裕なんだと思う。
人間関係が一気に増えたせいなのだと思う。いや、それしかない。
ずっともう20年近く、人付き合いが億劫で引っ込んでいたから、人と関わるとものすごく疲れる。疲れるといっても心地よい疲れなのだが。
いざ、30代へというころに父が病に倒れ、慣れない建築仕事を手伝うようになった。だから、まあ仕事はしていたんだし病院と関われば医者や看護師の人とも関わるわけで、人付き合いが皆無だったわけではない。つまりは、必要な場で必要な人との付き合いはあったわけだ。気の合う人との出会い…、同じようなことを目指している人との出会い…といったたぐいの人付き合いがなかったのだ。それが、今、そういう人とのお付き合いが急に増えて自分で自分が分からなくなるときがある。不思議の国へ迷い込んだような感覚の中にいる。本当に私なのか?

事は昨年の秋ごろだ。住んでいる町の商工会から、クリエーターを集めて商談会のようなイベントをするので参加しませんか?というメールが届いた。一応審査があるようなことが書いてはあったが、ひとりでうつらうつらしていても仕方ないよな…、ま、審査に受かるとも限らんし…と目を瞑り、ポチっと参加表明をしたのだ。
随分前に商工会に足を運んだことがあった。クリエーターリストなるものがあると知ったからだ。分からないことがあれば質問にも行けるかもと話を聞きに行ったのだったのが、丁度来月から登録料が発生するので、今、登録しませんか?と言われ急遽、何の準備もないまま登録したのだった。もうそれで満足してしまい、それ以来商工会へ行くこともなければ、商工会からメールが連絡がくることもなく、登録していた事すら忘れていたのだった。

半月ほど経った頃、「参加お願いいたします。つきましては…」と参加準備や会場の詳細などがババーンと送られてきた。
「参加?やばい…。えー。どうしよう。」
そこではじめて焦り始めた。知らない人ばかりの知らない場所へ私、ひとりで乗り込むの?大した実績もない癖に…。いやいやいや。どうしてポチった私?アマゾンで買い物してんじゃないぞ?散々自分に悪態ついたり、こねたりしていたが、心を決めて準備に取り組むことにした。ホームページを一新し、名刺もしっかり作り直し、資料や来場者に配るチラシを何枚か作った。

そうして3日間のイベントが始まった。会場に行って驚いたのは、若い人たちが大勢いると思いきや、同世代の落ち着いたクリエーターさんが多かったことだ。だが、それは実績がそこそこあるということを物語っていた。それぞれの背後に用意されたアピール資料はまさにプロ仕様であった。もう、穴があったら入りたい!と比喩でなく本当に穴を探した。けれど、私も結構年取ったな…と実感したのは、開き直りの速さだった。踵を返して帰りたかったが、ここはもうトコトン恥をかく場所としてしまおう!と考え直した。年増新人…正確には大年増になるのかしらん?兎に角、見栄を張っても仕方ない。
どれだけの来場者がいたかは正直分からない。私の使命は、仕事云々も大事だけど、今までひとりググって何とか解決してきた疑問質問を同業者の人達に色々聞いてみたい。そのことに集中した。
幸い参加者の人達は皆さん本当にいい方ばかりで、私の投げかける疑問質問に共感して色々と教えてくれた。随分前に同じように悩み苦労してきたことだったのだろう。いつの間にか、私のブースに人だかりが出来ていた。多分、「この人、大丈夫?」「この人、なに?」「この人、…」と心配してか物珍しかったんだと思う。いくらググって解決してきたところで、情報は変わっていく。私の情報知識、道具まですべて、短く見積もっても10年は時が止まっていたようだった。モグラがポッコリ何十年ぶりかに地上に顔を出してみたら、えらく世界が変わっていた…そんな感じだった。3日間で瞬く間にリセットされ、新たにダウンロードされた色々で、私の頭はパンク寸前で、終了した後数日しばらくはものすごく寝た。いっちょ前に私の脳みそは睡眠中に情報処理してるのかなと思うと自分でおかしくなるくらい、よく眠った。

道も見えない真っ暗なところに突っ立っていたのに大きなドビラが突如出現して、ゆっくりと開かれたような感じで、とても気分が高揚していた。脱線寸前の列車が本来の線路へとガッシャンと上手く切り替わったように、「こういう人たちとずっと出会いたかった。」と思える人達と出会えてうれしかった。自分で言うのもおかしいけれど、律儀にも参加者スタッフの方へひとりひとり挨拶メールを送った。変な下心などなく、本当に嬉しかったからだ。お仕事につながる来場者さんにも会えた。1,2か月の間の目まぐるしい変化に自分がついて行けていない。「今度お食事にでも。」というお返事は、社交辞令でなく本当に実行された。そして、一人ひとりと改めて出会って話をしてみると、意外な共通点があることに気づいたりして、知り合いからお友達へとなる人も現れた。お陰様でランチ貧乏になりそうだ。
それでも大人になってからだって友達はできるんだと実感して心はホワホワと温かかった。

有難いことに仕事の依頼もあり、それをまた喜んでくれた。それぞれ、もうしっかり自分の仕事を持って自立しているからか、変な嫉妬の様な空気がないことに驚く。同業だからとて、それぞれ個性があるのでジャンルが被らないこともあるのかもしれない。「これからこれから。」と鼓舞してもくれる。何と心の広いことか、本当に有難い存在だ。
これまでの私の経験では、私は馬鹿がつくほどお人よしなので、本当は私の思い過ごしかもしれない。けれど、少々意地悪さも持てるようになった私は、人の意地悪さにも気づけるようになったはず。今、自分の近くにいる人達が自分にとっていい人であると今はまだ思っていたい。

年が明けると、古い友達とも変化があった。長年会っていなかったのに、会う約束をした友達が数人いる。誰かが出会い直し…というような言い方をしていた。一度出会った人と、何かの折に出会い直しする。今年、会う約束したその友達たちはそんな気がする。グルグルポンッとかき混ぜたら、浮かび上がってきた人たち。
今、私の近くにはそんな人たちがいる。とても心が温かい。
出かける時はいつもワクワクしている。決しておざなりで会っているんではない人たち。それぞれの100を知っているわけではない。私の100を知ってくれているわけではない。けれど、心地よくて有難い。久しぶりの人付き合いに距離感を間違わないように、大事に育てていけたらいいなと思う。

人付き合いが極度に苦手な主人は、登場人物が増えた私の人付き合いには興味津々だが、「もう覚えられないから、写真か絵にして!」と戸惑っている。

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