北見 壮志

SNS上が実名だらけになってしまって、哀しみを吐く場所が見つからないから、ここに書き留…

北見 壮志

SNS上が実名だらけになってしまって、哀しみを吐く場所が見つからないから、ここに書き留める。広がることよりも、細る未来に、感謝を。

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人生をメンヘラ女に永久スポイルされ続けることになりそうな男の話

昔からの知り合いが随分と年下の女性と結婚した。見た目もかなりかわいいので、よくぞこんな子を捕まえたもんだ。と、当初はえらく驚き半分、嫉妬半分で喜んだのも束の間、1年もしないで、彼女がメンヘラであることが僕にバレた。(彼はすでに知っていたようだ) 改めて思い直してみると、知り合いは見た目は普通か、ちょっと良いくらいではあるものの、それ以外には社会的地位はもちろんスキルもなく、かといって、その対角線上にある、夢追い人系(売れないバンドマン、芸人、俳優とか)の魅力によって女性を魅

    • 死を間近に見れば、それは世界中より、キミ中に。

      友達の犬が死んだ。 もはや絶食に近い状況。お別れ会を開こうと予定を決めた。 そのお別れ会の前日に、亡くなった。きれいな格好ですやすやと眠っているように。というどこにでもある形容詞そのままに毛布にうつらと眠るように息をしていなかった。 それでもこうして最期の姿を飼い主でもない自分が見ることができる貴重なタイミングに感謝する。決して悲しい死に方ではない20年近く生きた犬の大往生は悲劇よりも「お疲れ様」という声とともに労いに近い。 3時間も4時間もお酒を酌み交わしながらどうでも

      • さようなら、の前に。

        今日、いつもはあまり観ないジャンルの映画を観てしまった。 病気なんかで余命宣告された人が登場人物に出てくる邦画。 そういうの、好きじゃない。 どちらに視点で観ればいいのかすら、わからない。 遺される側なのか、遺す側なのか…。 もちろん映画の中では遺された側の世界を描くほうが圧倒的に多いし、その逆はファンタジー映画としてコミカルに描かれる比率が多くなるだろう。 自分の死生観は思っているより単純ではなさそうだ。 「死んだら悲しい」「死ぬのが怖い」という俗世の感覚はもちろん持

      人生をメンヘラ女に永久スポイルされ続けることになりそうな男の話