これもアフォーダンスか?!

先日、こういうツイートをしました。

「子供向け番組には無表情な奴がいる。理由二つ目。このキャラの演技をさせるには体のアクションしかないからですね。表現者の演技力アップのためなんですな」

それに対して、「演技できない奴のために構成を考える奴なんていねえよ」という反応が返ってきました。(だいぶ誇張しています)正直、意味がわかりませんでした。

まずい素材を何とか食えるようにしました的な料理を出す奴なんていないでしょ?という意味だと後からわかったのですが、まあこの意味だとしても監督的立場の人はやらなきゃいけないと思うんですよね。

そもそも、脚本制作の話なんだから演技のまずい奴の話をしているつもりはなかったんですよね。それがなぜ演技のまずい奴前提の話に変わってしまったのか?

そういう突っ込みをされるような文章デザインになっていたんです。

よく意図しない意味で解釈されて炎上するという話はよく聞きますがこれもそうなんですよね。簡単に言うとそう思わせる何かが文章に含まれているということなんでしょう。芸能人の方なら、普段からそう思われるようなとこもあるのかもしれません。

制作者から勝手にイメージを作られていることもあるでしょう。

でも、これはデメリットだけではないように思うのです。炎上商法という言葉もあるぐらいです。芸能人のスキャンダルで視聴率がとれるのも同じ理屈ですよね。

これを何とか利用する手はないんでしょうか?

このままの日本では、間違いなく停滞したままです。自分の能力を最大限に活かすことが正義だというアメリカには一生勝てません。でも、こういう価値観って国民性ですから、なかなか変えられないんですよね。

俺が正義だというポジションを奪い合うのではなく、新しいタイプの正義を作ることに目を向けてもらいたい。コロナ警察とか歩きスマホの人に体当たりとかしている方の力をなんとか利用する方法はないんでしょうか?

物語にはそんな力があるのではないか?

そんな可能性をなんとなく感じるんです。でも、はっきりとつかめたわけではありません。引き続き考えていきたいと思います。