家庭保育と仕事の両立でストレス満開の時、救われた話〜そこからnewnormalの暮らしと企業のあり方を考えた


ポートランドの外出自粛生活は1ヶ月以上が経過、休校からはまもなく2ヶ月になる。急に訪れたこの暮らし、家に子どもがいながら仕事をするのは、まあまあしんどい。

私はポートランドにいて日本とのリモートワークだから、時差がある。子どもが寝る夜の21時が日本の13時で、会議はその後に入れている。育児と仕事のコアタイムがずれている分、仕事の時間を確保できている方かもしれない。でも、しんどい。波はあれども、やっぱりしんどい。日本のお母さんたちはいったいどれだけ頑張ってるんだ。

だって考えてもみて欲しい。世の中の会社のコアタイムは9時〜18時。子どもたちが元気真っ盛りの時間だ。家にいれば「遊んでー」「おもちゃがない」の連呼。11時半にもなればお腹すいた。15時にはおやつが欲しい。公園に行きたい。兄弟喧嘩も1日絶え間なく繰り広げられる。デスクワークなんてできたものじゃない。3食用意して、ちょっと勉強を見ればあっという間に夕方だ。YouTubeかゲームにお任せするか、朝3〜4時に起きて、子どもが寝たあと家事が終わって23時から仕事をする、そんなお母さんたちの話は私の耳にも聞こえてきている。

私のイライラは日々募り、降り積もる。

こっちは3月16日から一斉休校になった。そして夫がこのタイミングで4月から新しい会社と仕事を始めたものだから(西海岸の会社)、必然的に平日昼間は私が子どもたちと遊び、家事育児すべてを引き受けるという事態となった(私の仕事相手の日本は夜中だから)。これまでずーっと共働き、家事は半々。私は育児能力が高くない(いや低い)ので、育児も能力レベルが私より遥かに高い夫がだいぶ手伝ってくれていた。

このコロナの非日常&平日の家事育児担当の新しい暮らしがスタートしてからわずか2週間、4月の2週目ぐらいに私のイライラは頂点に達した。何かしらルールをつくって楽しむことをモットーにしてきた私もさすがに楽しめない。オンライン飲みやら雑談やらで気を紛らわせようにもそこにも時差がある。ぼやきを聞いていれる友人たちは夜夢の中だ。

わたしの辛さなんて医療従事しながら子どものいるお母さんたちに比べたらほんの小さなものなのかもしれない。でも、ストレスフルだったのは事実だ。

そんなある日、天からの救いが届いた。

ある日突然、夫の会社からお知らせが届いた。

夫がメンバーに加わっているのは、シリコンバレーに拠点をおくスマートーホーム開発会社HOMMA。名前から想像できるように、社長は日本人の本間毅さんだ。ある日、本間さんから夫をはじめとするメンバーにお知らせが届いた。

内容を要約して書くと、休校や外出自粛などによる家庭環境の変化を鑑みて(西海岸のワシントン、オレゴン、カリフォルニアはほぼ同時期に州から非常事態宣言が出ている)、4月初旬よりしばらく週5日から4日に勤務形態を変更するというものだった。

コロナの影響のため従業員を休業として休業手当てが支払われたり、勤務日数を減らし給与をその分カットするという対策がとられている企業は日本でも少なくはないだろう(ちなみに米国はレイオフがすごい)。HOMMAのとった方法は、そういう週4日制ではない。勤務日数以外、給与などの条件変更は行われることなく、週4日を導入した。

もともとコミットするのは就業場所や時間ではなく、業績にコミットするスタイルだったということが背景にあるだろう。私自身、少なからず企業のマネジメントに関わっている私から見ても、この決断は経営者として、リーダーとして、大きく難しいものだったのではないかと想像した。

個人として母として、家族としては、このスピード感と決断力に本当に救われたのだった。現金な話だが、素敵な会社だ!と思ったのは間違いない。

その日から、私は平日に1日、仕事に完全集中する時間を得られた。子どもたちとしても、「お父さんが家にいるのに全然遊んでくれない」不満から多少なりとも開放されたのではないかと想像する(この生活が1ヶ月続いた今は、またこれも普通になって、新たな不満は出始めているが、ここではそれは置いておく笑)。

これは私が一個人、家族として日常で体験した小さな出来事だ。ひとつの家族と暮らしが小さく動いたにすぎない。

でもちょっと俯瞰してこの出来事を見た時、with コロナの時代における、企業の在り方の可能性を提示しているように感じた。私が考えたことは次の3点だ。

withコロナ時代の暮らしと企業の関係性とあり方

●暮らしと社会が変わる。個人も変わる。そのとき変化しない企業は詰む
●家族が応援したくなる企業が、今よりもっと愛される
●new normalは「仕事」と「暮らし」の境界線が曖昧になる

詳細を以下に添えておく。

●暮らしと社会が変わる。個人も変わる。そのとき変化しない企業は詰む

企業を取り巻く変化は、Social Diatanceの確保のための、会議形態やリモートワークの話に止まらないだろう。いったん緊急事態宣言なり休校が解除されたとしても、家庭環境、個人の暮らしはきっと大きく変わる(そことの行き来を繰り返すから)。その個々人の暮らしの変化を見ずして、企業や事業が元あった状況を維持しよう、「再開」しようという方向へと向かえば、そこにはボタンの掛け違いが起こる。仕事は暮らしの一部でしかない、と認識する生活者が増えていく傾向にあるとしたら、企業は変わらなければ、これからは選ばれない企業と事業になっていく未来を想像する。

前述した深夜と早朝でなんとか仕事をしているお母さんたち個人の努力に、今は企業が甘えている。働きたいなら頑張り続ければいい?それは違う。個人と暮らしが変わるのだから、今までのあり方を企業も見直さなきゃならない。

●家族が応援したくなる企業が、今よりもっと愛される

これは実感として。私はHOMMAが好きになった。いや私がそうなのだから、働くメンバーはもっと好きになったと思う。メンバーが幸せであること(これはキャリアや仕事に限った話ではなく、ライフ全体の話だ)を大事にする企業はこれまでよりも愛される。それがバリューとなる。

前も書いたけど、「It's about us,not me」。 NY州クオモ知事が会見で使った言葉だが、こう考える経営者、リーダー、マネジメント、企業が愛される時代になる。

●new normalは、仕事と暮らしの境界線が曖昧になる

私は、これからは、1日2時間働くぐらいがちょうどよくなってくるのでは?なんて妄想することがたまにある(家族がいる、子どもがいる場合の話。もちろんパートナーとのバランスにもよる)。ここで何時間が適切かという話をするつもりはなく、きっちり「仕事」と区切られる時間が、今よりもぐっと少なくなると言いたい。残りは暮らしと仕事、個人の趣味と仕事の曖昧な領域となっていくように思っている。仕事の暮らしへの取り込み方を模索する人が増える。

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私の中で、newnormalのキーワードは「境界線」だ。

曖昧な領域、区切る、そんな言葉を上にも何回か書いたが、国と国、政治と企業、企業と個人、仕事と暮らしの境界線のあり方を見直すこと。これがキーだと思っている。今までは、誰かが引いた、いつからかそこにあった境界線を、あっちへこっちへと飛び越えながら生きている人が多かったし、意識的に飛び越える瞬間をつくっていた人が多かったのではないかと想像する(仕事と家庭とかね)。

その境界線の存在を問い直し、自ら引き直すことが必要だ。

今、医療現場をはじめとして暮らしの前線ではたくさんの人が戦っていて私たちの暮らしは守られている。そして辛い思いをしている家族たちがたくさんいる。その現実と感謝の気持ちを忘れてはいけない。そして境界線が曖昧になったゾーン、境界と境界の間に生じた新しいスペース、そこから新しいものがたくさん生まれてくる、少し明るい未来を想像している。

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