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改めて注目されているのは、リベラルアーツ教育: 「アップルは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点にある」


「アップルは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点にある」

                        ースティーブ・ジョブス


予測不可能なことにも柔軟に対応し、新しい価値を生み出し、生き抜くためのベースを身につける教育として、リベラル・アーツ教育が注目されています。スティーブ・ジョブスは「アップルは、テクノロジーとリベラルアーツの交差点にある」とも語っています。まだまだ日本では聞き馴染みのない、あるいは誤解の多いこのカタカナ。リベラルアーツとはどういう意味で、またなぜこれほどまでに注目されているのでしょうか?

リベラルアーツは、人間を束縛から解放する知識、そして生きるための力を身につけることとして、古代ギリシアで生まれました。現代では、アメリカのリベラルアーツ教育が注目されて、幅広く基礎的な教養、人類の知恵を学びます。それは単に知識としての教養ではなく、答えを追い求めるものではなく、“問いを構築していく力”を育みます。また人類の知恵の歴史が今の時代にも問いかけること、さらに今の時代に合わせた教育を実験的に作り続けています。多様なバックグラウンドを持つ教授陣と学生が共に少人数制、対話形式で学び合います。

一つの限られた専門分野を学ぶのではなく、幅広い基礎力が身についているゆえに、予測不可能で、複雑な状況にも柔軟に対応することができます。実際にアメリカでは、専門的なことを学んだ人よりも、就職率もよく高く評価されています。なぜなら一つの専門領域が時代の変化によって必要でなくなった時に、その人材を他に当てることが難しくなるからです。また、ますます複雑になる社会では、多様な視点が求められ、さらに多様な人とのコミュニケーションをはかり、対話することが欠かせません。教授の一方的な教えでなく、対話する中で養われてきた力は、とても大きいのです。さらに問い続けることは、既成のあり方や枠組みを変容し、新たな展開を促し、新しい価値を生み出します。

リベラルアーツがどの様に日本では、語られているのか。その一つの例として検索してみると、以下の様にあります。

「古代ギリシアで誕生した人間を束縛から解放する知識。リベラルアーツとは元来、人間を良い意味で束縛から解放するための知識や、生きるための⼒を⾝につけるための⼿法を指します。 古代ギリシアで⽣まれたこの概念は、やがて古代ローマに受け継がれ、⾔語系三学(⽂法・論理・修辞)と数学系四学(算術・幾何・天⽂・⾳楽)で構成される⾃由七科(セブンリベラルアーツ)に定義されました。その後、十七世紀のイギリスを経てアメリカに継承され、現在のアメリカのリベラルアーツ・カレッジでは少⼈数制による基礎的な教養と論理的思考⼒の習得に重点を置いています。 リベラルアーツ教育は基礎的な教養を形づくり、⼈としての根幹部分をつくる学びで、専⾨の学科や職業課程とは区別されるものです。(桜美林大学HPより)」

リベラルアーツとは、日本の大学教育で一般的に行われている教養課程とも、ウンチク的な教養主義とも異なるのです。


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[長男の通っていたニューヨーク州のリベラルアーツカレッジ]

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