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2022/08/26 『日本その日その日』

金曜日 くもり時々小雨

モース・エドワード・シルヴェスター『日本その日その日』をkindle版の青空文庫で読了。
大森貝塚を発見したことで知られるモースの日本滞在の記録。
何つながりでこれを読むことになったのかもすっかり忘れてしまうくらい、長くかかってしまった。
とにかく長い本だった、ロシア文学ほどではないけど。

それでも読み通せたのは、単純に日本人の私も知らない少し昔の生活が描かれていることへの興味に加え、このモースという人が気に入ってしまったからだ。
日本と欧米とどちらの文化も贔屓することはなく公平で、子供のように好奇心に溢れ、簡単ではないだろう異文化人とのやりとりを厭わない。
開国から間もない当時の日本のお役人も研究者も学生も、その姿勢こそをこの人から学んだのではないか。

つい思い出してしまうのは、少し前に何冊か読んだ大黒屋光太夫のこと。
時代や立場の違いを別にすれば、この2人は共通するところが多いと思う。
時空を超えて会うことがあれば、いい友人になれたのでは、と妄想する。
風俗、とりわけ音楽にも興味を持っていたり、活版印刷に関するくだりでは写真植字の経験のある私には個人的にとても面白かった。

好人物と思ったのは例えばこんなところ。

驚くことには、また残念ながら、自分の国で人道の名に於て道徳的教訓の重荷になっている善徳や品性を、日本人は生れながらに持っているらしいことである。

第一章 一八七七年の日本――横浜と東京 より

かくて我々は、神道の信仰の聖餐拝受につらなった。キリスト教の宣教師たちは、我々が偶像崇拝をやっていたと考えることであろうが、神官が我々を招き入れた程に寛裕であった以上は、我々も彼等同様に、宗教的の頑迷固陋から自由であり得る。

第九章 大学の仕事 より

日本人がいろいろに子供の頭を剃ることは、我々がいろいろに我々の顔を剃る―― 髭 だけで、 鬚が無かったり、鬚だけで髭が無かったり、両方の頰髭 を残して顎を剃ったり、顎だけに小さな鬚をはやしたり、物凄く見せかける積りで、頰髭を両方から持って来て、髭を連結させようとしたりするーーことが、彼等に奇妙に思われると同様、我々には奇妙に思われる。 莫迦げている点では、どっちも大差はない。

第十一章 六ヶ月後の東京 より

加えて、この本の楽しさを倍増しているのは石川欣一氏の翻訳の文章の巧みなこと、モースへの温かいまなざしに満ちていることだと思う。

それに、多数載せてあるモースの手によるスケッチの数々。
現代ならばインスタにでも写真をあげるところなのだろうけれど、マメに絵を残してくれたこと、そして絵心のある人だったことの僥倖。

ほんの一部です