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未消化な過去の記憶は、解決を望んでいる①

「その後、どうされていますか?
気になっています
差し支えなければ、連絡ください」

Messengerに残されたそのメッセージを見つけたのは昨年だった。

送り主は元夫の知人で、私も何度か会ったことのある人だった。

夫と別れてから、かれこれニ十年の歳月が過ぎている。
今ごろ私に何の話があるんだろう?

全く予期していなかった突然のメール。
知人のことはすっかり忘れていたし、元夫の事も思い出すことが無くなってからずいぶん時間が経つ。

知人はSNS上で私を見つけて連絡してきたのだった。

Messengerには、知人の同じ内容の文が2回入っていて、いずれも2017年の日付だった。

ということは、4年も気づかず放置していたことになる。
その時点では、Facebookグループ以外のSNSはまだやっていなかった。
道理で気づかなかった訳だ。

個人的にSNSを始めた去年、初めて件の「あれからどうされていますか?」の文を発見した。

少し迷う気持ちもあったが、意を決して知人に連絡をとった。

そのとき知らされたのは、主に二つ。
知人は元夫から依頼を受けた仕事の結構大きな金額の支払いが未収になっていて、裏切られたダメージを今だに引きずっている事。
知人と周りの私を知っている人は私のことを案じている事、などだった。

初めて聞く話だったが、当時の夫の事情から言えば、寝耳に水と言うほどの衝撃はなかった。なんとなく合点のいく話だった。
夫は事業が上手くいってなかったのだ。
それにしても、夫は分からない事が多くて全体像が把握しにくい人だった。

重い内容だった。
話すことで過去のわだかまりが整理されたか。いや、私はもやもやは消えなかった。

知人とはそれっきり連絡が途絶えたが、今年になってから再び、元気を取り戻して何とかやっています、とのメールが届いた。 

それは良かったですねとやり取りしているうちに、やはりどうしても話は元夫のことに舞い戻ってしまう。
過去は何度も蒸し返されて、知人と私はその度に怒りを再燃させた。

未消化な過去をなんとかして成仏させたい。
たぶん、知人も同じ思いだったのではないか。

私はふと思い立って、元夫と親交の篤かったある人のことを調べてみる気になった。
それは感のようなものだった。

調べたデータを知人と共有した。
「なるほど!やっぱりそうだったのか」
どこか謎めいていた元夫に裏の顔があったとは!

親交の篤かった人とは、企業の経営者でゴルフ倶楽部のオーナー、裏社会で隠然とした権力をもち、某企業テロ事件の黒幕と噂されている人物だった。

知人は深く納得したみたいだった。
「ありがとうございました。情報は私にとっても非常に役に立ちました」
文の最後に泣き顔マークをつけていた。

私は動揺と混乱が続いた。
9年間一緒だった元夫には、私の知らない別の一面があったとは。
しばらく頭の中を整理しているあいだnoteを書く手が止まっていて、今やっと3週間ぶりに書いている。

過去を整理しないことには、本当の意味で前を向くことはできない。

この続きは、書ける範囲で次回、書きます。
私のこころの整理をかねて。

          ✱

記事のテーマとシンクロしているマドモアゼル愛さんのYou Tubeを見つけました。 

「未処理にされたままの記憶が誰の心にもある」

過去を納得しないと、過去を精算できない。
忘れても、忘れていない、未解決の記憶があると、物事は感情的な納得を終われない仕組みになっていて、不可解なエネルギーを奪われ続ける。
未消化のままで残っているものは、解決を望んでいる。感情的な答えを得られると生きていることが楽になる。
生きていることが理由もなく辛くなっている人は、過去に関する未消化なものがエネルギーを奪っている。


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