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東京好きですか?嫌いですか?

私は、仮想世界で生まれた。
そして、30歳になるまで、現実の世界を知らなかった。

・・・というのは真っ赤な嘘で、本当は、西新宿の病院で生まれ、17歳まで渋谷区で育って、今は六本木に住んでいる。東京生まれ東京育ちだ。でも、私は半分くらい本当に自分のことを「仮想世界生まれVR育ち」だと思っている。

これは私の妄想ではない。独立研究者で著作家の山口周さんの本で読んだ話で、ちゃんとロジックがある。

そこには、都市の成り立ちがこんな風に説明されていた。

大昔、情報をやりとりをするには、ものすごいコストがかかっていた。たとえば手紙だけが頼りだった時代、郵送には何日もかかった。電話代だって、今と比べたらものすごく高かった。1977年、アメリカにいる人と3分話すだけで、3240円もかかっていたというのだから驚きだ。

だからこそ、人々は情報の集積地として都市を作り上げ、一箇所に集まって仕事をするようになった。みんなで集まれば、情報をやりとりするコストがグッと下がるというわけだ。

なるほど、都市は「物理クラウド」なのだ。インターネットに接続するように、東京という都市に人々は接続し、出会い、情報を交換し合う。

そして、ここには、人間の作ったものしかない。人間の作ったビル、道路、家。人間の「ここに、これがあったらいいな」という意思で、ぽこぽこ具現化したモノで溢れている。物理的に存在するけど、仮想的な世界。

だから、「東京生まれ東京育ちの私は、仮想世界の生まれである。」と言っても、たぶん過言ではないはずだ。

映画『マトリックス』で、主人公のネオは、「赤いピル」を飲んだ後に、自分が生きている世界が現実ではなく、コンピュータによって作られた仮想現実「マトリックス」であることに気付く。

「真実を知りたいなら、赤いピルを飲め。」

私にとっての赤いピルは、世界の各地を旅したことだった。中でも、数年前にインド人から手渡された赤いピルは強烈だった。それからというもの、私はもっぱら旅に出て、自分の五感を使って、この世界の姿を知ることに夢中になった。

自分が食べる野菜を自分で育てて収穫してみたり、海で魚を獲って捌いたり、山の中で獲れた鹿を解体したり、とにかく自分の生活を自分の手で作る活動を色々とやってみた。

自然からダイレクトに自分が収穫した食べ物を食べると、重たいVRゴーグルを外したような、妙なすっきり感と、未知の感動があった。

「これが…本物の世界…?」

一方、そんな旅から東京に帰ってくると、一気に現実に…もとい仮想現実に引き戻される。

いつだったか、地方から都内の自宅に一週間ぶりに戻った際のことだ。部屋の片隅に生けたドウダンツツジが枯れかかっていて、心底恥ずかしくなった。

なぜ私はわざわざ一本2,000円も払って部屋に緑を飾っているのか。自分で世話もしきれないくせに。自然の中に入れば緑なんて死ぬほどあるのに。もちろん無料で。

一度、本物を見てしまうと、VRの世界がとても滑稽に思えてくる。ちょっといい花瓶に、ちょっといい感じの枝物を生けて、「暮らしを楽しんでいる」なんて思っちゃってるのは、ファンション暮らし野郎なのだ。

部屋に飾る観葉植物は、本物の自然の中から「おしゃれ」とか「癒し」とか、そういう情報を記号として抜き出した、バーチャル世界のデコレーションでしかない。

東京にあるものは全て記号だ。東京には、何でもあるけど、何にもない。それは全てが情報だからだ。インターネットの上に何でもあるけど、何もないのと一緒。ここには土も緑も水もない。お金がないと何もできない。

それなのに、だ。

旅の終わり、毎回、新幹線で東京駅に滑り込む度に、私は、「あぁ、帰ってきた」と思ってしまうのだ。大自然の美しさを目の当たりにした後なのに、丸の内に並ぶ建築物を美しいと思ってしまう。悲しいかな、VRゴーグルをつけてると落ち着く自分がいる。

誰かが「東京なんて」というたびに、心に小さい棘が刺さる。

だって、私の人生で大切な人たち、全員この街で出会ったのに。好きなもの、全部この街で出会ったのに。私の生まれ故郷なのに。そんなこと言わないでほしい。地に足をつけろ、とか、言わないでほしい。だって、私にとってはこの仮想世界がずっとたった一つの現実だったのに。ここで育ったのに。簡単に現実に引っ越せないよ。一体どうすればいいの。

「東京はもういいかな〜って。」

そう口を揃えて東京からログアウトする友人・知人を見送るたびに、私はちょっと切なく、羨ましい気持ちにもなる。自分もそっち側に行きたいような、行きたくないような、近づきたいような、遠ざけたいような。

そんな葛藤への暫定的な解が、二拠点生活だった。

今は、六本木と長野を行き来しながら、都市と自然をつなぐにはどうすればいいのか、眉間に皺を寄せながらウンウンと考えている。

赤いピルを飲んでしまって、気づいたことがある。

どうやら現実世界はどんどん綻んでいるらしい。冷房MAXの仮想世界の中に生きていると気づけないが、異常気象で私たちの生活は本当に一変してしまうかもしれない。30年後、今、当たり前に食べている食べ物がもう食べられなくなるかもしれない。今、当たり前に住めている場所に、もう住めなくなるかもしれない。

そんな現実を、仮想世界に生きていると知らないで生活できてしまう。

仮想世界に生まれた自分の役割は、二つの世界を行き来して、その橋渡しをすることなのかなと思っている。旅の中で見たものを持ち帰り、東京の人に伝える。そして、東京で見つけたもの、育んだものも、ちゃんと自然に返す術を身につけたい。私はまだ、東京を見捨てたくない。

生まれ故郷の仮想世界を、もう少し、好きでいさせてほしい。

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