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放校措置のあと

息子の友達が問題を起こした。そのことについて前の記事で書きました。

その後、放校措置になった女子は、またホームスクールに戻りました。その後、いく学校を探してはいるようです。息子は相変わらず仲良くしています。

母としては、放校措置になった子と仲良くしていて、息子も悪い影響があるのではないか・・・という心配はあります。確かに問題を抱えた子ではあり、心理的な問題もかかえ家庭環境も良くない。今までの学校もうまくいかなかったらしい。でも、とても興味深い子らしい。

先日、いつもの仲良し3人組が我が家で集まりました。私は噂の彼女に初対面。当の彼女はとっても好感の持てる子でした。好感どころか、むしろ、私も友達に選びそうなタイプなのです。息子の人を見る目が間違ってはいなかったことを確信し、ほっと胸をなで下ろしました。

制度と理想のはざまで

この問題が起きた時、学校から2行の報告メールを受け取りました。たった2行です。そこから実際何が起きたかは全く読み取れないし、学校側もどういう考えなのかもわからない。息子とも話をしましたが、当然それは息子側の見方。偏っているところもあるでしょう。

問題が起きて、当人と学校がミーティングをした。クラス全体でも話しあった。でも、「子どもの保護」のため、誰が密告したかもわからないし、結局、ミーティングで何を話しあったのかもわかりません。というか、クラスでのミーティングだって、秘密は明かさないままの話し合いです。秘密は厳守です。その秘密は、校長と担任など、直接問題に関わる一部の教員にしか情報開示されていませんでした。

それは学校の方針というよりは、もう政治的な問題で、下手な情報を開示することが「子どもの保護」違反になって学校の責任が問われる。学校としてもそれを守らないことには、学校が責められる。それはそれで、また学校閉鎖とかいうことになっては、他の生徒、教師、学校全体の問題になる。シュタイナー学校危機のあと、学校側も慎重にならざるを得ない。

もちろん、プライバシーの侵害の問題もある。下手に情報を漏らすことで犯罪に悪用されることだってありうる。だから、守らなければいけないことはわかります。

でも、その一方で、隠せば隠すほど、憶測が飛び交います。憶測は悪い方へ悪い方へ向かいやすいものです。

そして、隠しているうちは、理解しあうことはできません。状況がつかめないうちは、問題解決のための行動もできません。

絶対的に性善説を信じる

甘いと言われることもあるのですが、私は、生まれつき悪い人間などほぼいないと信じています。確かに犯罪を犯す人もいる。人を傷つける人もいる。でも、その背景には、そうならざるを得ないなんらかの事情があったケースが大多数だと信じています。

犯罪を犯したという事実だけでは、本質はつかめません。

今回の問題も、女子生徒には心の傷があった。弱さもあった。それが、理由として正当に認められるかどうかは別として、彼女を追い詰めたものをちゃんと見極めて、彼女という人間を知った上で、今回の問題を見つめたい。

密告した側にも、理由があったはず。3人しかいない男子クラスメートのうち2人を奪ってしまったような彼女の存在が、他の女子にとっては妬ましいものだったのは容易に想像できます。何もなくたって、中高生女子の友達関係はややこしい。ちょっとしたことで仲間割れしたり、そんなのはどこにでもあること。

でも、それもぜんぶ想像にすぎません。

私が強く思うのは、人間同士理解しあって、いい関係を築こうと思ったら、秘密のままでは無理だということ。シュタイナー学校の人間関係は密接です。長い場合は幼稚園から12年生まで15年間同じクラスで過ごすのです。仲間割れして、また仲良くなって、ただの友達だったはずが、いつのまにか恋愛話も出ていたりする。それで別れてまたいい友達になって・・・。そんなことを乗り越えて卒業していくはずの仲間たち。

心を開いて話をしたら理解しあえるとは限らない。それが簡単なことではないのは、私も経験上わかっています。人間みんなが仲のよい友達になる必要はない。ひとりひとり違うのだから。でも、違うということを納得して相手を認めるところまでいくことは大いに可能だと思うのです。

反対に、隠せば、わかり合うチャンスを消してしまうことになる。さらに誤解も招きかねない。

実際に本人にあってみて、どうしても、放校措置になるような子には思えなかった。我が家にいたとき、あるトラブルが発生したのですが、彼女は、とても冷静に大人の対応をしていました。問題は抱えていても、芯のある子だと思います。

だから余計に、よくわからないまま、隠されてしまったのが残念で仕方ないのです。

泣き叫んだ保護者会

この問題とは関係ないのですが、以前いた学校で問題が起きた時、保護者会で話し合いました。校長が、状況を真摯に説明してくれました。そして、なんでも思いをぶちまけられるように、とても上手に、話せる場を作ってくれました。保護者は、考えていること、思いを一人一人ぶちまけました。泣き叫ぶ人あり、他の保護者と議論というよりほとんど喧嘩になる場面もあり。

全員が発言する機会を得て、それぞれに言いたいことを言い合ったあと、保護者グループの中には「これがベストの決断だったんだ」というちょっとほっとしたような明るい雰囲気が漂っていました。私も、こんなふうに保護者をまとめてくれる校長のことを心から信頼することができました。この校長が決めたことなら、それをサポートしようとも思いました。

この校長は本当にうまかった。こんなふうに、どの先生も切り抜けられるわけではないけれど、こうやって問題解決して、人間関係も深めていけるようなやり方は理想です。

また甘いとか青いとか言われるのだろうけど、私は、上っ面を取り繕うことではなく、理想を追求したい。子どもたちを育てる教育現場であればなおさら。そうでなければ、どうやって子どもに寄り添えるのだろう。心を開かねば、どうやって手を差し伸べられるのだろう。・・・そう思います。

それは、理想です。

実際にそれをやったら、学校が窮地に立たされるという現代社会の仕組みも知っています。

でも、理想は忘れちゃいけない。

だから、悶々とするのです。

悶々
悶々
悶々
悶々
悶々
悶々
悶々
悶々


とりあえず、悶々としながらも考え続けます。

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