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昭和18年の中学生①

私の父は昭和五年生まれで、鬼籍に入って十年ほどになります。
父はとある旧制中学の第1期生で、晩年同級生達と文集を作りました。
父は主に編集担当だったのですが、3冊目を作る頃には身体が不自由になり、編集作業が大変になったため私が手伝うことになりました。

私が手伝ったのは送られてきた手紙や原稿用紙をワープロで打ち直すような仕事です。
その時、昭和五年生まれの人達の人生を垣間見ることになったのです。

昭和五年生まれの人達は丁度十三歳くらいの時に戦争が始まり、十五歳の頃終戦でした。旧制中学時代の思い出は必然的に戦争の思い出と重なります。
もう少し年上の男の人は徴兵され戦地に行かれていた様ですが、父達は大人でも子供でも無い年齢でした。

私は父から直接戦争の話を聞いたことが無かったので、文集を読んで、へぇ~と思うことばかりでした。
現在父の同級生の方も90歳を過ぎておられます。
勝手ながらこの貴重な体験を少しここで披露して皆さんに読んでいただきたいと思いました。
出来るだけ個人情報に気をつけて簡略して記したいと思います。


『K氏 一年生の時の思い出』


●富士板妻軍事教練 10月1日御殿場より富士山麓の板妻兵舎に行きました。配属将校○○中尉のもと軍隊さながら事を致しました。夜になり食に飢えている我々に近所の農家の方から誘いの声がかかり、それに誘われるままに暗闇の中垣根を越えていったところそこに井戸があり、そこに落ちそうになりましたが農家の方に助けてもらい一命を取り留めました。そのことが原因でその夜非常呼集がかかり、暗闇の中ほふく前進をさせられたのです。翌朝全員砂利の地面に正座させられたことを思い出します。
●軍需工場勤労動員 川口の鉄工所に動員されました。川口駅から約30分、荒川の大橋のたもとにありました。仕事は鋳物の型込めの手伝い、機械工場では機関砲の本体を特殊銅の丸棒から切削穴開け加工を旋盤を使って行うもので、私は体格が小さいため検査の仕事にまわされました。


このような思い出の文章が沢山あります。また発表したいと思います。



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