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【犀の角のようにただ独り歩め】よりよい人間関係を築くために


溺れた人を助けるためには

小学生の頃、海で溺れて死ぬほど苦しい思いをしたことがあります。

海で一緒に遊んでいた友人が、手に持っていた浮き輪を手放してしまい
パニック状態で沈みかけていました。

「助けなきゃ!!」と泳いで友人に近づいた途端
私の首を締めるようにしがみついてきました。
今度はこっちがパニック。
苦しくて、苦しくて、ただただジタバタしていた記憶があります。

苦しさのあまり力が抜けたとき、足が地面について我に返りました。
ジタバタするうちに浅瀬にたどり着けたようで
私も友人も助かることができました。

ここで得た人生の教訓は、溺れた人には安易に近づかない。
自分の安全を確保したうえで、浮力のあるものを投げ入れて助けること。
これは身を持って知ったことです。

質問者の涙の理由

つい先日、ある和尚さんの講演会に行きました。
講演会の最後の質疑応答で
一人の若い女性が泣きながら和尚に質問を投げかけました。

「夫がうつ病で1年以上仕事を休んでいます。
仕事復帰を諦めている夫に対して、希望が持てるような言葉を下さい。」

ざっくりとした状況は
・最悪に体調が悪かった時期は脱している
・質問者が仕事をして生計を立てている
・昼間に寝て、夜にはひたすらゲームをするという生活
・夫は「このまま仕事をしなくてもいいかな」と言っている。
・これからも夫を支えたい

泣きながら質問をする女性に対して、
和尚は優しくうなずきながら、真剣に最後まで話しを聞いておられました。
そして、質問の回答として出されたのは「離婚を考えなさい」

無自覚では共倒れする、依存関係

意図として、本当に離婚をしなさい、ということではありませんでした。
質問者と夫の今の関係は、もはや夫婦ではなく、
治療者と患者の立場になっていることを自覚しなさいということ。

和尚が伝えたこと:
10年後も今の生活だったら・・・と想像してほしい。
うつの人が本当に調子が悪い時は休養をしなくてはいけないし、全力で支えなくてはいけない。
でも、いつまでもその生活を続けていたら共倒れをしてしまう。

お互いが依存しあった関係にいい未来はない。
ご主人の将来のためにも「あなたが自立しないなら、私は出ていく!」
ぐらいの覚悟で接していかれたらどうか。

人を助けるために必要なこと

この回答を聞いて、冒頭の海で溺れたエピソードを思い出しました。
「溺れている人を助けるならば、自分の足で立っていなくてはいけない。」
「溺れている」を「困っている人」に置き換えても全く同じことです。
困っている人を助けたいなら、助ける側が自立していなくてはいけません。
相手の感情に飲み込まれていてはいけないのです。
言葉で言うのは簡単だけど、これはすごく訓練がいること。
真面目で優しい人ほど、簡単に、そして無自覚に、相手の感情に飲み込まれます。

相手を助けたい。私が助けなきゃ。
そう思ったら、まずは自分の心にフォーカスを当てること。
もし冷静でないなら、物理的に距離を保つこと。
自分が冷静になると相手への見え方が変わり、関係性も変わります。

犀の角のようにただ独り歩め

自分が自分の足で立つことの大切さを、お釈迦様は
「犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め」と説いています。
SNSの発達で「つながることがいいこと」という現代の風潮とは逆をいくようですが、私はとても大切なことだと思っています。
でも、自立していない人が集まれば、ただの烏合の衆です。

家族も同じ。自立し合っていなければ、よくて烏合の衆。悪ければ共依存です。

えらそうなことを言いましたが、私も自立した人間とは言えないかもしれません。
些細なことで家族に八つ当たりをして反省する毎日。
家族への甘えがあるから、八つ当たりをしていまうのです。
20年も相談支援に携わってきたんですけどね。家族となると冷静さが保てなくなるものです。
だから質問者さんの涙も人ごとのように感じられず、ここに書き留めました。

質問者さんのこれからの人生がよりよいものになりますように。
心から願っています。

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