動機が愛ならそれでよし

「これって自分ベクトルなのかな」

昨日、友人からのメッセージにあった一文。


先日、友人とzoomで話をした。
講座で習ったワークの練習をするということだったのだが、
二人とも話好きなのだろう。
次から次へと話題は尽きない。
いつも延々と話は続く。

その間、
お互い、トイレだったり、荷物届いた、とか、
諸々でちょいちょい席を外したりしながらも、
「で、なんだったっけ?」
と、また話は続く。

先日も、ワークの練習やら解説やらしながら、
いろんな話に花が咲き、結構長丁場になった。
私の次の予定がなくなったこともあり、
すごく楽しかったから、ついつい時間を気にせずしゃべりきった。

翌日、彼女からメッセージが届いた。
ワークの振り返りを送ってくれて、
そして
「今度から時間を決めてやろう」という提案をしてくれた。

ありがたい。
楽しいと時間を気にせず話してしまうのは直したいところ。

私は、本当はこれをやろうと思っていることがっても、
それをさておき、目の前のことを優先してしまう。

「楽しいからついやっちまった。てへぺろ、コツン。」
というのならまだいいのだが、

「いや、やることあるんだけど、すげぇしゃべってはるし、、、今切っちゃ悪いよなぁ」
とか、
「なんとなく切り上げづらい雰囲気、、、」
みたいな感じで長くなるというのが実はよくある。

そして後者の場合はものすごい罪悪感に苛まれる。
「あぁ、またやってしまった、、、」と、かなり落ちる。

そんな感じだから、彼女の提案はとてもありがたかった。

ついつい癖を直すいいチャンス。
そうしよう!と即同意した。

そしたら彼女から「これって自分ベクトルなのかな」と。

彼女的には、
自分は長くなるのは構わないのだけど、
私がいつも長いのが嫌になってしまって、話せなくなってしまうのを避けたいからの対策だそう。

そのことに対して、自分にベクトルが向いていることなのかな?と自問自答しているようだった。

彼女の真意は彼女にしかわからないのだけど、
私的にはとてもありがたい提案。
それに、私の時間のことを気遣ってくれたと感じていた。
もちろん、彼女も自分の時間を大切にしたいだろうというのは当たり前のこととして。

だから、それをそのまま伝えた。
「私への気遣いだと思っている」と。


この、「自分にベクトルが向いている」というのは、講座内で習った考え方の一つ。
自分ではなく相手にベクトルを向ける、という風に習った。
利他的なスタンスでいるというようなことかと解釈している。

彼女の行為を「自分が話してもらえなくなるのが嫌だから提案した」とだけ仮定すると、
確かに自分にベクトルが向いていると言えるかもしれない。

だが、その前提には
私が時間を奪われると感じてしまって嫌になってしまうのではないか?という想像があって、
その想像の前提には
私の時間を奪っては申し訳ない。とか、
時間を奪っては嫌われる。という気持ちがある可能性がある。
(もちろん他にもいろいろ可能性はあるけど)

そうすると、
この提案には、
相手の時間を奪うことはよくないこと。
という前提があることになる。

そんなこんなを考えていて、
そこから浮かんできたのはやっぱり「相手への気遣い。」だ。

それは、私の時間を私の使いたいように使ってほしいという思いやり。

自分にベクトル、相手にベクトル、というのはさておき、
その行動の理由の一つに私の時間を奪いたくないという想いがあったのなら、
それはもう愛じゃんね。と思う。

「自分にベクトルが向いている」と感じる行動も、
動機が愛だったらそれでいいんじゃなかろうか。

いや、
それでよしとする。

私の中ではそう結論づいた。


人の行動の背景にはいろんなものがある。
原因や動機を一つに絞れるほど単純ではない。
その中に一つでも、相手を思いやったり、相手を気遣ったりしていれば、
それはもう愛からの行動ということでいいのではないだろうか。

私が他者の行動をどう捉え、そこから何をチョイスするのか、
それが私自身がどれだけ成長しているかの目安になる気もする。

それによって、
その人の行動の意味は私の中で変わるのだから。


これを書きながら、
楽しいからという理由ではなく、
つい「この人だと切りたいのに切り上げられない」の人がずっと浮かんでいて、
私は、みぞおちに何か塊があるかのような、妙な不快感とともにこれを書いていた。
その塊は胸を苦しくして、なんともいえない感覚、
後悔のような罪悪感のようなものを呼び起こす。

だけど今、
「あの時、私が話を聞くことで、何かしら役に立てたのだろうな」
という気持ちが芽生えている。
(全くそうは思えていなかったが)


その人とのやりとりも、動機は愛として私を赦そう。


とはいえ、
これからは楽しくても時間を決めてそれを守ろうと思う。

「楽しい」時でも時間を切り上げられるなら、
「困ったなぁ」な時も切り上げられるようになるだろう。ニヤリ。
的な。

この動機は自分への愛。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?