前世占い


 この間の記事で占いの話をした。割といろんなことを書いていたが私は占いの類が好きな方だ。ゴシップと同じようなものでその対象が他人か自分かというだけである。昔から、好きな人ができようものなら星座や血液型で相性を占ったものだった。あと何故か知らないが占いをやっている人と知り合いになりやすい。サブカルチャーで人と繋がることが多いというのも一因かもしれないが、芸術系の学校に通っていたわけではなかったのに、アボリジニが生み出した楽器を学校の噴水のそばで吹いている後輩に「ホロスコープを読ませてください」と言われて読んでもらったこともある。結構当たっていたように思う。普通に生きていたらこういうこともあるのかなと思ったのだが周りに聞くとそういうことでもないらしいので訳がわからない。

 本来、相性占いのように、占うとは診断とか予知といった性質を持つように思うが、例外もある。前世占いだ。やはり輪廻転生の概念が定着しているからだろうか、前世から自分の今世の運命が定められるという理屈は飲み込まれやすいらしい。冷静に考えれば前世の自分は他人なので、その因果が今世に持ち込まれる筋合いはないだろうが、なぜか持ち込まれるらしい。しかもリーンカーネーションの法則に則れば前世の自分が超絶なる善人である可能性は限りなく低く、ほぼ全員が愚かな他人の業を今世で背負うことになるのだから余計なお世話である。昔の他人の後始末をさせるな。年金問題と同じ原理である。

 というわけで輪廻に対してひとしきり愚痴を言ったが、先程言ったとおり、前世とは自分のゴシップなのだ。わかりやすく、自分に深く関わる違う人間の、人生や行い、気持ち、そしてそれに影響された自分の知られざる一面をお手頃価格で見聞きできる。ジョハリの窓という概念で言う「他人は知っているが、自分が知らない自分」というものを知ることができるのだ。しかも結局自分の人生のことでないので否定する材料もなく、本当か嘘かわからぬままなんとなく楽しい気持ちになれる。お得なのだ。

 そのような感じで私は数年前、前世を占ってもらったことがある。友達が占いに行ったというので、興味があったので行くことにしたのだ。しかし怖かったので、友達も巻き込んで3人くらいで行った。某繁華街の端にある占いの館みたいなところだった。そこでは学割が使えた。お金がない学生にもお手頃に占いを提供する姿勢がある、占いの館である。少々俗っぽい気がした。中の待合室にはコーヒーサーバーがあり、無料でコーヒーを飲むことができた。そこそこ儲かってる感じがますます俗っぽい。システムとしては何人かの占い師がシフト制で勤務に入り、その日のシフトに入っている占い師から1人を選んで順番を待つというものだった。占い師ってシフト制なんだ、と当時は思った。今考えれば、つくづく俗っぽい。
 私はタロット占いをしてもらうことにした。当時占いなんてどれも同じやろ!と思っており、タロットが1番それっぽくない?と思っていたからである。安直の極みである。安直かつ軽率なところが私の長所であり短所である。結構人気があったのか、土曜の昼間に行ったからなのか、そこそこの時間が過ぎてから呼び出された。一回20分の時間制であること、時間内であればいくつかのトピックで占いができることを説明される。上述の通り私は自分のゴシップを聴きに行っていたので、元気な声で「前世占いをしてください!」と言った。占い師が「前世占い…?」と訝しげな声を出した。開口一番話が違う。友達が占ってもらった前世はなんだったのだ。それでもまあ占えるらしく、おとなしく占ってもらった。ゴネ得である。占い師が恭しくタロットをかき混ぜ、カードを切っていく。その結果、私の前世は男性で、今でいう公務員みたいな仕事をしていたらしい。おお、いいではないか。真面目な感じである。実際、前世の私は真面目で、周囲の信頼も厚く、美しい妻とかわいい子供たちを持ち、まさに理想とも言える過程を築いていたそうである。最高ではないか。めちゃくちゃ善良な市民である。勢いで言えばそのまま解脱していてもおかしくない。「でもね、」占い師が言った。「この人、死ぬ瞬間に『これじゃなかったな』って思いながら死んでるね」前言撤回である。
 クソボケではないか。これじゃないわけがあるか。贅沢を言うなという感じである。「だから、あなたは今世で自分の使命を見つける役目を担っているわ」占い師は言った。自分はめちゃくちゃ安定して理想的な生活を送って死んでいったのに、リスクがあるタスクを後世に残すな。何が使命だ。こいつのような自分の手を汚したくないけど楽しいことだけしたい人間のせいで年金問題が発生しているのだ。実際公務員のような仕事をしていたなら年金制度とかの仕事に就いていてもおかしくないので余計ムカつく。占いの話をしているのに最終的にはどうしても年金問題に行き着いてしまう。ああ、私の年金ってちゃんと給付されるのだろうか。
 そのあと惰性で恋愛占いをしてもらうなどし、時間が来たので部屋を出た。友人たちも各々恋愛や仕事について占ってもらった話をして、その日は解散した。
 あれから何年か経って、その日に集まった友達はみんな全然違う場所で全然違うことをしている。私だけが同じ土地に留まり、しかしレールから脱線しながら生きている。いまだに使命を探すという使命に縛られているのだろうか。今度はそれを占ってもらおうかと思う。

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