命を大切にする
根っこ保育のこのこようちえんには、回数券という制度があります。
先日、回数券を使っているゆきちゃん(年少さん)がのこのこに来た時のお話。
私たちが日頃からお世話になっている谷保天満宮で遊んでいると、ゆきちゃんが木の根本にあった枯れ草を見つけた。
枯れ草はいろいろな木の根元にあり、ゆきちゃんは徐にそれを集め始めた。
それを見たねいも一緒に集め始め、あれよあれよと言う間に大きな山になった。
私はそれを見ながら、楽しそうだな〜と思うと共に、この枯れ草は草刈りをしてくれた方が木の根本に置いたのだろうなと思っていた。
そう言う背景を知りながら、子どもたちのやりたいようにさせて良いのか、声をかけようかかけまいか悩みながらいた。
しかし、2人の表情があまりにもよかったので、いろんなことを一旦飲み込んだ。
「大きなお山できたね!」とみんなで喜んでいると、谷保天満宮の茶屋「てんてん」の店主さんが来て「あら!それどうするの?昨日草狩ってくれたんだよね」と声をかけてくれた。
私はこのことについて、自分はどのタイミングで子どもたちに聞こうか悩んでいて、お昼ご飯の時に2人に聞いてみようと思っていたので、今がそのタイミングなのだと理解して子どもたちに投げかけた。
「あれ?この草、綺麗にしてくれた人がいたんだって」
すると2人は急にばつが悪そうにうろちょろし始めた。
さっきまで遊びを引っ張っていたゆきちゃんが、年上のねいのあとをついて行きねいの後を追いかけて行動を真似し始めた。
私が子どもの頃によく聞いた「赤信号、みんなで渡れば怖くない」そんな言葉を思い出した。
どうしようかな〜って思った時、近くに誰かがいると気持ちが強くなったりするもんだ。それが年上なら尚更。
私はそう言う経験もいいなと思い、そんな2人を見守った。
そして、しばらくして「このお山どうする?」と投げかけた。
私は、聞いてはいるけど実際のところ「今片付ける」でも、「あとで片付ける」でも、「片付けない」でもいいと思っている。
なんとなく子どもたちは「片付けない」はないだろう思ってはいるけど、もしそれを選んだなら私自身は片付けた方がいいと思っているので、そう言う答えを出したなら自分が片付けようとは思っていた。
2人は静かに遠くを見つめていた。
そして、もう一度「このお山どうしようか?」と聞くと、ゆきちゃんから「かたづけるよ」と軽やかに返ってきた。
私はあまりの軽やかさにびっくりして、「え?いいの?あんなに頑張って作ったのに。いいのよ?片付けなくても」と言ったのだけど、すぐ立ち上がって片付けに向かったゆきちゃんを見て、ゆきちゃんには迷いがないのを感じた。
これはまさか…と思い「ねぇ、もしかして最初から片付けるのは決めてた?」と聞いてみるとこれまた迷いなく「うん」と答えた。
片付け始めたゆきちゃんを見て、ねいも一緒に片付け始めた。みんなで片付けをした後、ゆきちゃんが木に手を当てて何かを言っているのだ。
何を言っているのか耳を傾けてみると「きもちいい?」と木に聞いてた。
ゆきちゃんは一本だけに言うのではなく、自分たちが枯れ草を戻した一本一本に手を当てて聞くのだ。
私はその光景を見て驚いた。
子どもたちには本来、自然や人の境界線があまりないのかもしれない。
命を持った一つの大切なものとして捉えているのかもしれない。
そして、子どもたちが本来持っている命のつながりについて途切らないためにも、私は野外保育を大切にしているのかもしれない。
こうやって私はまた子どもたちから学ぶし、私が学んだことを1人でも多くの人に伝えたいと思う。
命を大切にするってなんだろう。
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