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藤井 風 「満ちてゆく」MV観て考えたこと


曲を聴いて、MVを見た後、 「満ちてゆく」が頭の中でぐるぐるとループしてます。 色々と考えてしまいました。
だから、ぼんやりとつらつら書いてみます。長いです!


MVに出てくるノートから読み取れる文字。
ノートがぼやけてて全文読み取れないのが残念ですが。

・things that happend to my life
(僕の人生で起こったこと)
・this is the final chapter of my life 
(僕の人生の最終章)
・To encounter the infinite light is 
(出会った永遠の光)
・heartfelt… (感じたこと)


老人になった彼が机に向かい
ノートに書き記しているのは次の文章。

「This is the story of my beloved mother
She was」
(これは僕の愛する母のお話です。母は..)

このMVでは母と息子のストーリーが描かれてます。

グループセラピーを受けているシーン。
最初はアルコール中毒の人たちが受けているセラピーかと思いましたが、愛する人を亡くした人たちのグループセラピーかもしれません。中年の彼は楽しい思い出を語っているようで、微笑みを浮かべています。グループの人たちもそれに笑顔で応えています。グループが消え、赤いマフラーを巻いた女性(母親)が一人でセラピーの場に座っています。

レストランでピアノを弾く男性は穏やか。
それを優しく見詰める赤いマフラーを巻いた白髪の女性。
ワインを手に持ち嬉しそうに彼を見つめているのは
きっとお母さん。

老人になった彼。
床が水面のように揺れ出します。
年老いた彼はベッドの上、海で漂流しています。
死がゆっくりと近づいていることを表しているのかもしれません。
赤い服を着た子供の腕が水中に伸びます。

次のシーンでは、青年の彼が軽快なステップでニューヨークの街を歩いています。徐々に仕事が上手くいかなくなります。上司に叱られる姿やスーパーの倉庫整理の様子が描かれます。バーで酔い喧嘩をする荒れた姿も。電車の中で考え込む彼、隣の車両で見かけた母親のような女性を追いかけます。生きていて辛い時は母親に会いたくなるのかもしれません。

ここで画面は水中の中の二人の手が映し出されます。
赤い服を着た子供の手と母親であろう人の手。
水難事故でもあったのでしょうか。

彼は母親と思い出のピアノ店を訪れます。
少年時代のシーンに切り替わり、赤い服を着た少年と青いマフラーを巻いた母親がピアノ店を訪れる様子が描かれます。母親がピアノを弾く姿も。

次のシーンは母が水中に投げ出される姿。
水中の母の顔アップシーン、笑みを浮かべて子供を見つめています。苦しくなさそう。

水中に子供の手、母の手のシーン。
交わることはありません。
母親は水中に沈んでいくように見えます。

走る子供のシーンから、青年になった彼も走るシーン。
母親を探しているのでしょうか。
そして教会のドアを開ける彼。

坂道を突き進む車椅子の老人。
アートギャラリーに辿り着きました。
このアートギャラリーは母親と前に来た元ピアノ店です。

墓地ではさっぱりとしたスーツ姿の青年。
光を浴びている青年は下(お墓)に視線を移し笑顔になる。
清々しいシーン。吹っ切れたように見えます。

教会のシーン、後ろを笑顔で振り返りながら出ていく。「また来るね、ありがとう」とでも言っているかのよう。
橋の上を楽しそうに手を広げて走る後ろ姿が描かれます。
(解き放たれたよう)

彼が笑顔になって教会を出ていくのは
母はいつもそこにいるのがわかったから。
身体はないが、そこにいる。
光になってそこにいる。
「なんだお母さんずっと僕と一緒にいたんだ!」
と嬉しそうに教会から出ていくように見える。
悩み、悲しみを手放し、愛に満ち足りた様子で出ていく。
教会から出た彼はモヤモヤから解き放たれたよう。


肖像画の母を見て涙を流す老人。
「お母さん、ずっと会いたかったよ。もうすぐ会えるね。
僕は生ききったよ。良い人生でした」
涙を流す老人は母との再会を願い、自身の人生に満足する。母に会いたい気持ちと、死に向かう不安を少し抱くのかもしれない。

この曲、このMVからは見る人それぞれ色々な見方ができると思います。十人十色でそれぞれの解釈でいい。

冒頭の英語のセリフが全てを表していると感じました。

「things change, and we can do nothing about it
物事はうつり変わる。私達はどうしようもできない。

just letting go, feeling lighter, and becoming filled
ただ手を離す、軽くなる、満ちてゆく


時はすぎるし、物事は移り変わる。
何事にもいつか終わりはくる。
そこに拘って囚われていても仕方がないのだ。

死別した母親。
母は子供の手を取らず、沈んでいくように見えました。子供の手を取らなかったのは、子供に生きていてほしかったから。水中で笑顔を浮かべながら、優しく子供を見つめる母親。どのシーンでも彼女は優しい顔で息子を見つめています。彼女の身体は消えて無くなっても、いつでも息子のそばにいて彼を見守っています。

ただ息子はなかなか闇から抜け出せない。
導かれるように訪れた教会で
やっと悲しみを手放したのかもしれません。

”手を離す、軽くなる、満ちてゆく”

この歌は「救いの歌」
悲しみを手放し、
生きている喜びに満たされていく再生のお話。
暗い闇から抜け出し、光に照らされる。

光は無償の愛。


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今朝、「満ちてゆく」を聴きながら
子供を学校に送る途中
桜並木の道をドライブしていたら
涙がとまらなくなりました。

この曲「満ちてゆく」と桜の花は、
人の心を動かす力を持っています。

「ああ、なんて綺麗な桜。今年も桜が見られた」

今年も桜が見られて幸せだと感じたのは、桜の花が、季節の移り変わりとともに現れ、また去っていく姿を通じて、一時的な喜びや悲しみの移り変わりを象徴しているから。

そして少しの寂しさを感じて切なくなるのは、桜の花の儚い命の輝きが、自分の存在の一時性や、時間の移り変わりを思い起こさせるからなのでしょう。桜の花の美しさは、私たちに命の尊さを思い起こさせます。その教えに触れる度に、私は涙してしまうのです。
今年の桜の美しさは「満ちてゆく」と共に私の中に記憶されました。

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