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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第36回 第30章 湘南、海の風

 すると、量子力学の教える通りに(ウソ)、前方の舗装が一部盛り上がって隙間ができ、そこから合金吸盤付きケーブルが射出されてきた。シュー。
「カシャーン!」
 車は捕獲された。パチンコ玉が弾かれて行くように前方に一気に強引に引っ張られて、不安定な姿勢のまま離陸してしまった。
「わー!」
 「きゃー!」
  「シェー!」
(誰だよ、お前。ふたりしか乗ってないんだぞ)。
 おいおいおいおい。ボクらは夜空を飛んでいたのだ! (3人目はいませんからね)。ケーブルは即座に自動回収され、舗装面は元通りになった。証拠隠滅完了。車の突然の発進で、ふたりともむち打ち症になりそうになった。旦那はん、ええ按摩さん紹介しまっせ。乗っていたスポーツカーは、水陸両用車ではなくて、陸空両用車に変わり、そのままかなりの仰角で加速上昇を続けていった。光が眼下の地上を煌びやかに支配していた。その後、ほぼ水平飛行に移り、湾岸上空をしばらく紙飛行機のように気ままに滑空したり、2回も連続して宙返りしたり、8の字飛行までしてから、ジェットコースターのゴール前の徐行区間に差し掛かるようにゆっくりと降下して、熟練パイロットが搭乗中の乗客が気づかないほどスムーズにジャンボ機を滑走路に着陸させるような滑らかさで無事高速道路上に戻った。速度は飛行時より落とさざるを得なかった。人間は、楽しい方、楽な方にすぐ慣れてしまう。そのため、地上走行の理不尽な遅さに、高速道路が拘束道路に感じられた。路上の監視カメラには、上から一台スローモーションで降臨してきた不思議な映像が記録された。
 料金所を出て一般道を進んで行くと、道路脇の青いプレートに134という白抜きの数字が見えた。マリーナ近くのレストランに自然減速していって横付けすると、何国人だか分からない店員が脇に短剣を差した正装で、恭しく左の運転席側のドアを開けた。
「いらっしゃいませ、セシリア様。ますますお美しくなられましたね。先週お父様がいらっしゃいました」 
「また違う相手とじゃないの?」
 私は祖父の一人と父が医師ではあったが、ふたりとも金に縁の薄い生き方をしていたので、基本的に庶民の出である。ところが、このお嬢様は雲の上の生活をしているようだった。高額の医学部授業料も、ひょっとすると父親の保有株式からの配当か何かで、あっさりと何の苦労もなく4月早々に1年分納入していそうだった。
「何でしたら、6年分一括にしてしまってもいいですが」
「内閣に高位叙勲推薦をさせていただきます」
 ドライブ中にテレパシーで予約をしていたのか、それともそもそも顔が印籠なのか、すぐに2階のベランダ席に通された。RESERVEDと書かれたプレートが片付けられた。パリの古いホテルによくあるような、階段の螺旋の隙間に後から無理矢理設置したらしい狭い檻のような構造のエレベーターに乗り込むときには、機械の故障でこのまま中に閉じ込められたらえらいことになるな、と不安になるほどだった。標準的なスーツケースを縦に置く幅さえなく、恰幅のいいタレントなら2人分入れるかどうかぎりぎりのサイズであった。消防署から許可は出ていたのだろうか。体を動かせないままゆっくりと上がって行く間に、客はこのレストランの流儀と格式、そしてギャルソンのオーデコロンのブランドを想像させられるのである。
 庭というかガーデンというか、芝生の敷き詰められた南国風の庭園内には小さな竹林がしつらえてある。その横には椰子が並んでいる。いずれも札幌の人間にとっては異国風で魅力的な植栽である。席に着いて45秒も経たずに、細いグラスに注がれた冷えたシャンパンが運ばれてきた。毎日こうして暮らしたい。小さな泡が底付近から次々に上がっては表面で爆ぜた。不揃いな泡の列が戦闘機の編隊のように底から上昇してきては、途中でグラスの外側に向かって四方八方に散開したら美しいだろう。実際にそのように見えている人間がいたら、幸福な酔い方をしているのだろう。一度でいいからあやかってみたいものである。うんと体を小さくして、天井3方向から回転するスポットライトを当てさせて、このグラスに飛び込んで抜き手を切って泳いでみたかった。前畑でなくても頑張って泳いでやる。助六のような紫色の鉢巻きをして、蛇の目傘を差して下駄を履いたまま立ち泳ぎというのも風流だっただろう。伴奏は三味線でお願いいたしたい。はっ。にわか雨になれば、傘はパラパラという乾いた音を立てるのである。
 庭にはコンピューター制御されているらしき噴水があった。その霧のスクリーンに下からレーザーが当てられて文字が描かれた。
「麻維明(Maïa)ちゃん、17歳の誕生日おめでとう。
 どこにもお嫁に行くなよ 父ちゃん
 早くいい相手見つけなさい ママ」
 このメッセージが七色で現れた瞬間に、すぐ近くで花火が年齢と同じ数上げられた。派手な演出である。この日の主賓がその父親の娘の方ではなく、77歳の母親だったら77発も花火が破裂しただろうか。それだけ打ち上げ希望の数が多ければ、レストランも周辺住民との不要な軋轢を回避するために、別の祝賀方法を逆提案したのではないだろうか。花火の火薬の匂いが漂ってくる中、歓声が聞こえた。後ろを振り返ってみると、10人ほどのグループであり、娘が慣れた様子で父親の頬にキスをした。すっかり手玉に取っているようである。裕福な家族の誕生会なのだろう。まだ高校生のひたいにはティアラが乗せられていて、銀色の本体にコバルト色に近いジュエリーが嵌め込まれているのだが、何という宝石を使っているのか分からない。テテ親は顔の輪郭が歪むほど喜んでいる。単純ねえ、おっさん。あなたの危機はそのソバージュの鼻毛のすぐ先まで迫っているのかもよ。
(「実はこのコ、あなたの娘じゃないの」)。
「毎晩ここに来ようか? 17歳と1日の祝い、17歳と2日の祝い、毎日ほっぺにパラダイス!」
 するとほどなく、今度は庭園の別の場所数カ所から爆竹が放物線を描いて高く放り投げられ、空中で激しくのたうち回りながら爆発して煙を周囲に漂わせた。別の歓声が上がった。日本語ではなかった。客たちの祝い事が重なった日なのだろう。成人してからの煩わしかった歯列矯正の完了とか、時効の完成とか、異議申立期間や除斥期間の満了とか、恩赦とか、推定相続人の思いもかけない減少とか、自分たちがそこから亡命してきた王朝の想定よりずっと早かった崩壊とか。
 この日、夜風は札幌よりずっと湿気を帯び、気温も高めだった。オードブルが続いた。ここでもオリーブが出たので、私の口の中は六本木の1個目に続き2個目が入り、冬眠準備中のシマリスのように右と左の頬にその種をしまい込む形になった。いつどうやって種を出したらいいかタイミングが掴めないまま、不自由な口で相槌を打ったり、打たなかったり、打ちそこなったりして、会話は相手がリードし続けた。まさか、相手が横を向いてギャルソンに何かを注文する一瞬の隙を狙って、相手のグラス目がけて種を鼻から時間差をつけて連射するわけにも行かなかった。カツン、カツーン、ガシャーン(まさか)。(「ちょっとお、これいくらすると思ってるのよ、気をつけてね」)。

第31章 医学生、困った父親を嘆く https://note.com/kayatan555/n/nea1ed92546c4 に続く。(全175章まであります)。

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