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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第174回 第140章 ヨット化粧直し完了

 フジツボ等を取り去り、ペンキを塗り直したヨットは見違えるように再びスピードが出るようになった。まるでワシらの年齢が5歳程度も若くなったみたいだ。皺も若干浅くなって。4x8=32歳を超えているボクは、誰もタバコを吸わないのに、夏が近づいてくると事務机の引き出しから去年の秋にしまったままのライターを1個取り出してカナダ製の頑丈な革鞄に入れておく。このライター、ドイツ語で言えばFeuerzeug(フォイアーツォイク)を使って火を熾すのである。もっとも、ぼくが艇庫に着く時にはたいてい他の何人かがすでに火を囲んでいる。顔が炎で赤く見える。まるで何かの決起集会だ。
「明日は、あのでけえマンモスを倒して喰うべえ」
「やるべし!」
「ンだ!」
「運だ!」
 親の医院を継ぐ予定の若い医師仲間の中には、週に午前ないし午後計3回勤務すれば、一人暮らしには十分な、世間水準よりはずっと高めの最低収入が得られる特権的な医師が数人いる。なり手がほとんどいないため募集ポスターをわざわざ作って地下鉄駅に貼り出して確保しようとしている刑務所医がこのペースなのだそうだ。(自宅の延長のような医院でも、深夜シフトはこわいよう。青っぽい照明の廊下から磨りガラス越しに影が近づいてきて、婦長が出るよう。お歯黒で眉毛剃り落とした大奥だよう。本当の院長は婦長だよう。みっちり意見されるよう。ペーペーの医者の人生まだしばらくワイルドだぜえ)。
 私とて大学の医局に籍はあるのだが、教授による人事戦略と政治学の思惑の埒外にいる。そうした権力や利権からうんと遠めの立ち位置にいれば、学閥から得られたかも知れない利益はまずないが、転勤命令を受けるという人生の根本的な不利益をゼロにはできないものの極小に留めていられる。そうでなければ、いつでも突然どこぞの田舎や、経済的に繁栄はしていても過密・酷暑・豪雨・震禍・噴火(もう大変な国土だね)の地に送り込まれて悲惨な生活になってしまう。
 確かに、医師業は患者がどこに住んでいようと、収入や社会的地位等がどのようであろうと、その生命を現代医学の総力を尽くして助けなければならない職業ではある。ヒポクラテスの誓いも忘れてはならない。しかし、勘違いしてはいけない。医師だってむざむざ不利な勤務地に行かされたくなどないのである。誰だって我が子を名門高校に入れたいだろう。短時間で大規模書店に行ける場所に住んでいる必要があるだろう。スポーツジムにも通うだろう。ステーキハウスで謀議をする必要もあるだろう。バーでカクテルも飲みたいだろう。辺地では、医師自身が病気になった際に重篤化したり助からない可能性も大幅に高くなってしまう。このような動機・背景からの医師の移動・偏在は、国内に止まらず、国際的な規模でますます顕著になりつつある。
 それに今の札幌の有利さ、便利さはどうだ。地球温暖化の影響か、風が時に極端に強くなっているのは大きな懸念材料ではあるが、札幌の夏は長期化し、冬も以前より目に見えて短めになっているように感じられる。札幌駅、ステラプレイスとその周辺だけで、たいていの用事はすべて足せるようになっている。ロンドンの500万冊の書店には及ばないが、それぞれ在庫100万冊の本屋が複数ある。あなたならそのわずか1万分の1の100冊の本を読むのに何日かかるか。デパートが複数ある。ブティック、レストラン、その他の飲食店、映画館、鉄道の中央駅(ドイツの街でならHbf、つまりHauptbahnhof「ハウプトバーンホフ」と記述するところである)、地下鉄駅、中央郵便局、銀行、証券会社、政府庁舎、航空会社の支店、植物園、予備校も近接しており、北大の正門も駅北口から道のりにしてわずか550メートルのところにある。至便である。
 原則として、我々の閉鎖的・排他的なヨット・クラブに加わる方法はない。しかし、外部の信頼できる人間が例外的に入会する手段は残してある。いくつか条件があるが、基本は我々の大学ヨット部時代からの仲間複数からの推薦である。また、小樽築港ないし増毛港以遠から本人の所有ヨットで単独で我々の艇庫前に到着することも最低限の条件である。報償として、会員の誕生祝いには、トランペットとシンバルとピッコロの演奏の下、ヨット甲板から海に放り込む儀式を執り行う。ただし、クラゲの集団と口を開けているサメの上に放り投げることは禁じている。呪われる、訂正、祝われる人間は、飛びながら笑顔でシェーをするざんす。靴下の爪先が緩いざんす。空中3回転を見せてちょうよ。
 今回の船体洗浄の2日目夕方を郵送受付締め切りとして、作業中のヨットの今年度の名前を決めることになっていた。普段誰もこの校舎転用艇庫には来ていられないので、監視カメラ数台に加え、郵便受けにもセンサーを取り付けてある。これは、共有権者全員にリアルタイムで情報が送られるシステムにしてある。必要な電力は太陽光で賄っている。月の光では弱すぎるし、星の光ならどれだけ増幅が必要になるか分からないほどである。
 この我々が久し振りに海に揃うことのできた日までの1週間に、郵便物は1通も来ていなかった。いつも通りなら、午後2時ごろに郵便配達があるはずである。札幌市内ではかつて1日に2度の郵便配達があったが、その後1回に減らされている。ヨット艇庫のあるここハマナス市でも同様であった。町村合併で昔より面積が拡大しているが、まさか将来的に稚内市までひとつの自治体に合体することはないであろう。このペースで行けば、将来人口が大幅に減少した時点では、郵便が来るのは盆と正月だけになるのではないか。一軒一軒、サンタクロースの袋のような大袋に詰まった半年分の郵便物を受け取るのである。英語で言うlong overdue letters、つまり返事を出すのが大幅に遅れてしまっている書簡が大量に発生することになる。
 昨日まで投票は1通もなかったので、誰かが送ってきた投票用紙が今日届けば、自動的にその提案に決することになる。誰も送ってきていなかったら、小春ちゃんがすでに舳先に描いた「Koharu Liefde + ハートマーク」が、正式に今年度の船名に昇格することになる。
 塗装・搬入作業が無事済んでから、渋い表情のカウボーイを気取って、ケトルに直接豆を入れてコーヒーを沸かしていると、スーパーカブが見えた。本田宗一郎の大将が作った頑丈で燃費の極端に良い歴史的な傑作だ。郵便局の制服を着た局員が、笑顔で近づいてきた。声を出して笑ってはいない。もし笑っていたら、それはそれで幸せそうではあるが、次回からの配達は別の担当者になるだろう。適任者が見当たらない場合には、腹をくくって、局の全員がトレンチコートに身を固め、帽子をやや斜めにかぶり、両手をポケットに入れ、横一列に並んで声を出して笑いながらやってくるだろう。鞄から取り出した郵便物は封書1通だけだった。その裏側には封緘用に真っ赤なハートが貼ってあり、局員が持ち換えて宛名が書かれている側を上にすると、腹巻きをしたアニメキャラクターが余白部分に描かれているのが見えた。船名、決定でござる。
 生憎、小春ちゃんは今朝父親と一緒に帰宅してしまった後だった。さっそくフランケンに電話して教えてやろう。
「はいっ、どちらちゃんですか? あ、いけね」
(下の子をあやしている最中だったな)。

第141章 外国人による札幌評 https://note.com/kayatan555/n/n98b8a72d16e8 に続く。(全175章まであります)。

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