見出し画像

『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第164回 第130章 浜の風に吹かれて

 祖父がなぜドイツに長期留学までして医師になったのか、父がなぜその父親と同じ職業に就いたのか、この肝心な2点についてオレは当人たちのいずれにも問いただすことができなかった。単にそれぞれ学校で成績がトップないしトップクラスだったからなのかも知れない。
 祖父はアメリカから輸入されたタイプライターを使っていた。かすかに機械油の匂いがする。これは格好いいのである。舶来の文明の利器という感じがする。アメリカ資本主義の産物である。まだうちの納戸にしまってある。父のタイプライターは日本製だったはずだが、現物はうちに残っていない。亡くなった時に、形見として同僚の医師の誰かが持っていったようである。返してくれー。二人ともタイプライターを打つのが恐ろしいほど速く、しかも、ほとんど100%正確に打っていたのである。
「オレたち打ち間違いしないんで」
 父は英語で論文を打っていた時に、近くにまとわりついていた小学生だったボクに説明した。
「見てみろ、これがQWERTY配列って言うんだ。キーが二つ絡まってしまわないように、わざと打ちにくくしてあるんだ」
 オレはこんな下らないことは覚えている。父とは人生についてのもっとまともな話をしたかったのに、そんな機会はまったくなかった。『トランボ』の映画を見ていたら、枠の太いメガネをかけた不遇の脚本家が敢然とタイプを打ちまくるシーンが出てきて、オレは急に涙が出てきて困った。オレは誰にも教われなかったんで、自己流でパソコンのキーボードの扱い方を覚えたんだよう。だから、打ち方がインチキなんだよう。あんまり打つのがうまくないんだよう。ネクタイの締め方だって父親から教えてもらえなかったんだよう。付き合っていた相手にネクタイを手加減なしにきつく絞められたことがあるんだよう(これは関係なかった。ちなみに刑法上の論点は未必の故意)。
 オレが医者になったのは本当に正しかったのか? 母の強い意向なので、母を喜ばせようとして頑張っていたら医学部に受かってしまっただけじゃないのか。今さら言っても遅いのだが、オレは自分が本当は何をしたいのかがいまだによく分からないままだ。
 助けられなかった命のことを考え始めるが、できる限りのことはやったのだ、と時に不規則に強くなる風に吹かれながら、いつもの堂々巡りに入る。髪の分け目が移動を始めている。一回ちょんまげにしてみたい。(妄想。卑弥呼の鏡を磨いて覗き込む)。邪念の多いオレだな。それに、オレだって死ぬのだ、と波打ち際に目を遣る。寝不足が続くと、実際の診療場面と夢に出てきた患者とのやり取りの区別がつかなくなることがある。
 海面から黒い鵜が1羽顔を出す。歌舞伎役者のように見得を切ったりはしない。
(長く続く前奏)。
「う!」
 潜水を始めた場所からかなり遠くである。随分息が続く鳥だ。よく見ると、水中メガネとシュノーケルを付けている。オレもあの鵜と同じように無理に無理を重ねて30歳代に入ってしまっているのではないだろうか。目を閉じてみる。
 オレは中学校の途中で父に死なれてしまうという深刻な厄災に見舞われて、真夏でも脊椎が凍ったままのような日々を強いられたが、それでも、母と祖父の全力の奮闘、親戚の一部からの援助に助けられて、自分でも必死の努力を続けて活路を見出すことができた。受験で常に成功してきた。東京の名門大学で4年間好きな外国語を専攻して、しかもさらに予備校1年と医学部6年の計7年間、祖父と母親から生活費を出してもらった上に、高額の入学金・授業料は奨学金を借りて2回目の大学生生活を送らせてもらって、現に医師になった。(総額3,400万円を超える授業料を賄えたのは、祖父が僧侶であり、地下鉄駅と空港に近い敷地の広いその寺を担保に借金できたからであった。母は父の死後、極力この自分の父には経済的に頼らない決意で働いてくれていたが、複数の病気になってからは、無理をせずに父親からの助けを受けることに方針転換していた。これは父親に対する孝行にもなっていた。筋力過剰気味の父親は、それ以前にも増して張り切って読経を続け、木魚の破壊件数も増していった)。
 物思いにふけると顔が下向きになっている。羽音に顔を上げると、名前を知らない中ぐらいの大きさの黒っぽい鳥が5羽北東に向かって飛んで行く。渡りか? そっちは鬼門だそうだよ。何語で話し合っているのかな。ロシア語かな、台湾華語かな、河内弁かな(「何でやねん」)。
 頭の中で小松政夫翁の声がにぎにぎしく響いた。植木等の笑顔がはじけた。分かっちゃいるけど、だったよな、あの歌。

第131章 船底ガリガリ https://note.com/kayatan555/n/n3cd832bb5617 に続く。(全175章まであります)。

This is copyrighted material. Copyright (C) 2018-2024 by 茅部鍛沈 Kayabe Tanchin « Kayatán », 新 壽春 Atarashi Toshiharu. Sapporo, Hokkaido, Japan. 石狩湾硯海岸へ接近中は、新 壽春の登録商標です。All rights reserved. Tous droits réservés.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?