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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第34回 第28章 デザートの和菓子

 彼女が向かったのは「和菓子バー」(wagashi bar)だった。伝統的な甘味処は心地よい寛ぎの空間だが、それとはコンセプトが異なり、カウンター席と小さな丸テーブルがいくつかあるだけで、各種和菓子に加え、飲み物として緑茶を中心に若干のアルコール飲料も提供し、客は立ち飲み感覚で短時間で好みの和菓子を嗜んで店をさっと出て行くスタイルである。西部劇サロン型ともパリのコントワール方式ともミラノのバール方式とも呼べるタイプの新しいカジュアルな和菓子店である。言ってみれば、日本人の考えている「和風」ではなく、外国人が独特のエキゾチシズムを混ぜて憧れているwafuだった。これは世界中で流行るだろう。
 店のオーナーは日本かぶれの、いや、失礼な言い方は訂正しよう、日本が大好きなアメリカ人夫妻である。
“Howdy, Cecilia, what’s up?” 
 迂闊にもボクはこの相手の名前はまだ聞き直していなかった。セシリアっていったんだね、チミは。
“Hi, this is あら、わたしまだあなたの名前聞いてなかったわ。あなたのお名前何てえの?」
(そろばん鳴らして尋ねるざんす)。
“I’m Joeと申します。From Sapporoざんす」
「あら、ジョーさんだったのね。よろしくね」
 この女子学生は英語で注文した。和菓子の名前が仲間内では英語の略号になっているようであった。
“I’d like two MDMs, and a kintsuba. あなたは何がいいのかしら」
(ひとことひとこと声が美しく格好いいのです、セシリア嬢は)。
「あの、きんつばは分かったけど、MDMって何のこと? どーゆー意味?」
「想像してみて、きっとどこの小さな和菓子屋さんにも置いてあるわよ」
(「窓」から「出」かかった「ミ」ドリガメだ=MDM)。
(何でそんな風に考えるんだよう)。
「ああ、分かった。豆大福餅のことだね。MDM=Mamé Daifuku Mochi.”
「さいざんす」
 そこで、ボクも英語に切り替えてみた。
“Can I have a strawberry MDM and a matcha aruheitou, please?” 
「あら、有平糖なんて好きなの、あなた。絹光沢が上品よねえ」
「うちの父親が京都市生まれどしたんどすえ(舌を噛みそう)」
 水道橋であまり料理を食べていなかったセシリアは、大食漢とは言わないまでも、夜遅くなっても食欲が旺盛そうであった。よく食べる女性は生活力があり、大変結構なことである。
 緑茶のレパートリーは、日本茶に加え、台湾の高級銘茶も含んでいた。台湾の卸売店から小さめのドラム缶のような金属ケースに入れて直接仕入れて、そのまま飛行機で携行品として持ち帰っているのだそうである。1缶1缶見ているだけで、その中身のお茶を小分けで購入していって嗜んでいる人々の日常生活が想像できそうな幸せな気分になる。
「お茶が入りましたよ」
(お粥ができたわよ)。
 あーりがーとなーい。生きてて良かった。
 缶は両脚に挟んでドラム演奏に使ってみたいサイズである。
「♪ デーオ、デ・エ・エ・オー」
 アメリカ国内のバイオ系スタートアップ企業が、高まる緑茶人気に着目して、やぶきた系ではない品種の改良を進めているので、あと数年で第一陣が入荷する見込みなのだそうであった。
「世界に21世紀のバイオ緑茶を」
 この店の男性オーナーの方は、日本語学習中の外国人が一度は陥る駄洒落三昧の時期に突入しているようで、しきりにすべる冗談を言っては奥さんに睨まれていた。
「昔々、新橋駅の近くの歩道に眉毛の濃い占い師がいました。三公社五現業のあった時代のことです。表にいるのに裏ないし、なんて。(聞かされている我々は、心の中で限りなく赤に近いイエローカードをちらつかせる)。客寄せにこういう呼びかけをしていました。これこれ、そこ行く精神は貴族のあなた。お金で困ってはおられないかな。収入を10倍にしたければベストセラーの著書を10冊出しているエコノミストに相談するのがよろしい。その10倍、つまり元の100倍にしたければ、ベストセラーの著書を100冊出しているエコノミストに相談するか、ここに座って前払い、払い戻しなしで私のばっちり祈祷をお受けなさい。では、さらにその10倍を目指したいなら、どうすればいいかお判りかな?」
 問われた我々3人は、仕方なく考える振りをしたが、答えが分かるはずもなかった。
「それでは答えて進ぜよう。専売公社に行くのじゃ」
 この無駄話に女性オーナーと女子学生は目を合わせて露骨に溜息をついた。男女間、段々遠慮がなくなって行く。ボクは口の中が困った状態になっていた。カクテルに入っていたオリーブの種がまだ頬の内側にあり、それと有平糖がくっついてしまっていたからだ。舌で細い飴を紐のように縛ろうと格闘しているような感じがしていると、セシリアはあっさりと立ち上がった。もぐもぐタイム終了!
 笑顔で“See ya!”と挨拶をして(かっこええのう)、長い脚で店から出て行った。ボクは残りのお茶を急いで飲もうとして軽くむせながら、旦那の方に会釈をして外に出た。
「短足に歎息する。不揃いのゾロ目たち。立ち食いソバに対抗してしゃがみ食いうどん、アルデンテの入れ歯。ドライブスルーの歯科医院。Could you keep your mouth agape for a while?” 
(「はい、はい」)。
 駐車場は近くの地下にあった。
 この身長170センチを超えていたであろう学生は、父親を脅して買わせたらしいスポーツカーのところに歩いて行った。よくは分からないが、相当高そうな車だった。購入時には、このコと父親の間にたぶんこんなやり取りがあったのだろう。
「とっつぁーん、うちとしては少しぐらいのお金のことで一人娘に恥かかせないでね」
「それもそうだな、好きなのを選べ」
 私には一生縁のなさそうな高級車である。車高が低く、いざとなったら前方から超小型ミサイルを左右1発ずつ発射できそうな爬虫類のような面構えのデザインだった。
“Come on, now, let's hit the road!” 
“Sure! Why not?”

第29章 湾岸を高速でドライブ https://note.com/kayatan555/n/n83f448c5907b に続く。(全175章まであります)。

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