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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第182回 第148章 煙の呪いで身を固めた叔父さん

 ボクがここに通ってきていたのはまだ高校生のころだった。あの時のオーストリア人は、その後アメリカに移民してシリコンバレーで働いていることが、偶然SNS上で分かった。イケメンの夫と3人の息子さんたちとカナリア諸島でシュノーケリングをしている笑顔が出ていた。友だち申請をしてみたところ、「まぶだちでもいいよ!」と日本語で書いたメッセージが返ってきた。旧友との再会はサイバー空間上であっても嬉しいものである。先方から時々送られてくる一部日本語のメールへの返事はドイツ語で認めるようにしている。添削不要どえす、と書き添えてある。言葉の間違いはお互い様である。この北海道命の女性は、ことさら難しい漢字を使おうとする悪い癖が直っていない。しかも、普通カタカナ表記する国名も都市名も全部漢字で書いてくるのだ。
 あのころ高校生だったボクを鉄骨バーに度々連れて行っていたおじさんは、長年の年貢を何倍返しかで納め、結局高校時代の地味で堅実なガールフレンドと結婚して高齢父=elderly fatherになった。0から1、無から有への一大飛躍である。おじさん、心からおめでとう。だけど、結婚披露宴でボクは猿ぐつわをされていた。ボクの案内されたテーブルの他の3人の知らない出席者たちもだった。そのせいで、お互いに会釈をしただけで自己紹介さえできないまま、目の前に次々と運ばれてくる豪華な料理は液体化装置を使ってチューブで飲み込まされたのである。
(「やっぱりわたしのところに戻ってきたのね。ロンドンのブックメーカーの予想オッズも低めだったわ。でも、まさかあの怪しげな薬が本当にこんなに長く効くとは思ってもいなかったわ。ほとんど忘れてしまっていたのよね。高校3年の時に、♪授業を抜け出して一緒に映画を観に行って、その後冗談であの住人百人ボク仙人という変な店に入ったことあったでしょう。あの時に、カウンター越しにウィンクをしてきた自称仙人から、きみ、あの彼とデートやろ、でもきっともう少しで別れることになるで、せやけど、あの男子もしきみのマジな相手やったらこれ使うてみ、わしが秘法を習った、渤海から日本海を鬼の形相でバタフライで泳ぎ通して越前国に亡命してきて、京に上がる前にしばらく武生に住んでいた師匠の説明やと、効き目は何十秒から何十年の間や、事前予想不能やでって言われてもらった魚雷型丸薬を、あなたがトイレに行った隙にあなたのダージリンに投下してみたのよ。たしか、表面にQu'il m'aime toujoursっていう呪文が佛和辞典の活字みたいに小さな字で書いてあったわね。するとね、その何だか分からない代物がクローバーの小さな葉っぱのスクリューで4センチぐらい進んでから、カップの下の方で一瞬光って、あの紅茶の表面から妖しい煙が上がってきたのよね。煎じ薬みたいなにおいがしたわ。あなたが戻ってくる前に慌てて吹き散らしておいたけど、顔のすぐ前だったから、わたしも少し吸ってしまったのよ」)。
 この相手は「ハクいスケ」ではなく、白衣の女医さんだった。一時関東のある大学医学部の助教授にまでなっていたが、美園でクリニックを開いていた叔父が急死して親族会議でその跡を継がされることになり、北海道に呼び戻されて院長を務めている。おじさんによれば緒方洪庵の血を引いているそうだが、あのおじの言うことなのでかなり割り引いて聞かなければならない。
 このおじさんは時々電話をかけてくる。世の男たちがみんな、つい最近までの自分と同じような振る舞いをすると恐れているのであろう。
「浄、うちの娘に手を出したら殺すぞ」
「出しませんて」
(金塊少しもらっとこうかな。10kgのを10個。但 お姫様の用心棒代として、ってさ)。

第149章 市街見下ろす新しい家 https://note.com/kayatan555/n/nf8e51e04db3b に続く。(全175章まであります)。

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