見出し画像

石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第14回 第12章 東京歩き

 うねるミズダコのように拡がった大東京のあちこちの地理、方位感覚、地面の高低・傾斜具合の記憶が、頭の中に染み付いて離れない。あれだけの鉄道網を正確に運行させているのは世界に誇るべき実績である。やたらと面倒がるマンガ家の先生と一緒でなくても、路線バスに乗る移動も抜群に楽しい。札幌は大部分が平地にあり、しかも街区が基本的に四角形でつまらなく、まるで配送センターの棚が並んだような単調な作りの町である。傾斜地、斜め通りや曲がった道は例外でしかない。その点、坂や谷が多く、道路が出鱈目に見える方角に走っている東京は日本一面白い街である。
 茗荷谷駅から小日向に向かって歩いて行ったことがあった。9月に入っても真夏の札幌よりさらに気温が上がっていた日で、地図を見ながら外務省研修所の方角に進む私の横を、ひたいに汗の見える麦わら帽子の少女たちが通り過ぎていった。ひとりが振り向いて、数メートル後ろの子たちに向かって「遅いぞ」と言った。東京っ子の口のきき方である。
 自分の足で歩いてこそ街が分かるようになるとの信念から立てて実行した「お江戸八百八町踏破計画」に基づいてのことであった。私が一生どこに住むことになろうとも、東京は日本で最も重要な都市であり続けるだろう。その東京に現に住んでいるのだから、その一時的な有利性を活かして、あちこち見て回っておこうと思ったのだ。特に1年生の時は意識的に様々なルートを地図に描き込んでは歩き回った。最新版の地図と古地図との対照が興味深かった。広めのまとまった土地は、戦前の軍用地やその他政府が所有していた敷地であることが多く、さらに溯って行けば、江戸時代に藩邸だったり、その他の謂われがあったりして、4年間という短期間では認識を深めることは到底不可能であった。それでも得られた知見は東京での生活を重層的に豊かにしていった。電気がなく、木、紙、徒歩で特徴付けられていた時代に、人々の日々の生活はどのようなものだったのだろうか。
 一番長距離を一気に歩いたのは、前の晩カプセルホテルに泊まって(これが、自分がチョウチンアンコウにでもなったみたいで面白かった)、始発電車が出る前に両国駅前で草鞋を履いて(もちろん比喩ですよう)、外語大まで辿り着いたときであった。直線距離にして25キロ以上の大行軍だったが、間にある多くのビルやその他の障害物のせいで遠回りを強いられたため、実際の道のりはそれよりかなり長くなった。信号待ちも挟まなければならなかったし、経路上にあった送電塔にもよじ登って盗電してから降りたりしていたため、さらに余計に時間がかかった(ウソ)。北海道に日本一長い直線道路区間がある。「美・滝」(Bi-Taki)と覚えればいい美唄から滝川までの約29キロである。これにほぼ匹敵する長距離をいっぺんに歩いたのだ。大学1年生でなければまずできない快挙かつ愚行であった。その後数日間、体がひどく苦しかった。頑張ればいいというものではない。100点満点で90点か40点かではなく、数十年間にわたり最低でもコンスタントに70点以上を取り続けなければならないのが社会人の生活である。だから、一気にこれほどの極端な長距離を歩くのではなく、1日に3キロ程度のペースで週に5日走るぐらいの控えめな運動量に留めておくべきであろう。結局卒業までに累計1026.3キロで、東京歩き回り作戦は中断したままとなっている。もうこれ以上、歩行実績距離を延長することはできないだろう。ただし、何らかの事情で私が東京勤務を命じられれば別である。
「そうなったらまたてくてく歩いてやるさね」
 この小日向で、ここから一番近い駅は江戸川橋だったはず、早稲田も遠くないと意識したときに、目の前に現れたのが鳩山御殿の壁であった。そのすぐ裏側の急なコンクリートの坂を新聞配達のスーパーカブがゆっくりと下りていく様を見た。東京ってすごい街だ、こんな危ない芸当を毎日普通にこなして生きている人間があちこちにいる。
 この時は、手稲山でうっかりストックを2本とも下に滑らせてしまった後で、ストックなしで急斜面を滑り降りた時の戦慄を思い出した。
「オレ、生きたまま下までたどり着けるだろうか」
(“Dunno.”)
 日が陰って気温が下がってきていて、斜面の雪が何カ所も堅くなってきている時間帯だったので一層危険だった。結局運良く怪我をしないで済んだが、ストックを流してしまうのは重大な事故につながりかねなかった。顔を覚えられていたらリフトの搭乗を拒否されるかも知れなかったので、結局、その冬はそれ以上同じスキー場に行くことはできなくなり、近場の藻岩山で我慢することになった。どこのスキー場でも、ゲレンデに隣接した森の木々は美しい。タラの芽のトゲにだけは注意が必要である。
「あ、あ、あ、あ、あ」 
(タラと言えば、『風と共に去りぬ』はもう読まれましたか。英語のTomorrow is another dayは、イタリア語ではDomani è un altro giornoです)。

第13章 拙者の奇妙なる名前 https://note.com/kayatan555/n/na6aab750ba5e に続く。(全175章まであります)。

This is copyrighted material. Copyright (C) 2018-2024 by 茅部鍛沈 Kayabe Tanchin « Kayatán », 新 壽春 Atarashi Toshiharu. Sapporo, Hokkaido, Japan. 石狩湾硯海岸へ接近中は、新 壽春の登録商標です。All rights reserved. Tous droits réservés.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?