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『石狩湾硯海岸へ接近中』の全文公開 連載第15回 第13章 拙者の奇妙なる名前

 私は、日本語専攻ではなく、なぜかロシア語専攻のために留学してきていたhazel、つまり、はしばみ色の瞳をしたケンブリッジ出身のアメリカ人女子学生と1年半ほど付き合っていたため、アメリカ英語が少し話せるようになった。気付かないうちに、何とはなしに女言葉の米語になっていないかしら、あたし。
 そのコは東海岸出身ではあったが、実は生まれはネパールである、という説明を本人から聞かされた。両親が文化人類学者で、研究のために頑丈な四輪駆動の車両で東パキスタン改めバングラデシュ、インド東部と悪路を移動して行って、ネパールに入った際に気圧の変化が原因か母親が急に産気づいて、「予定日より2年も早く産まれたのよ、わたし」というネタを初対面の時にかまされた。いつの時代に、どこの場所で、どの国や地方の人間が何語で話しているのか、どこまでが本当か分からない物語をよく聞かされた。そうした時は、このコが魔法使いのお婆さんに変わり、ふたりでシャガールやマルシャークの世界に入り込んでしまったかのように感じられたものであった。イディッシュ語しか話せない親戚がアメリカ国内に数人いるのだそうである。ロシアから東欧、一部中欧に及ぶ空間もそれ自体ひとつの宇宙である。
 人を罵る語彙も偏頗な形で身に付いた。中国語もえげつない表現が豊富なのだそうである。カノジョと言い争うと、あの色々なバリエーションのジェスチャーを見せつけられることになった。身振りのオーバーなこと。役者やのう。孤立無援で正直恐いこともあったけど、ドラマを見ているようでもあって、実に楽しかった。両手を腰の横に当てて肘を張る様子を英語でakimbo(アキンボウ)というのはそのころに覚えた。彼女はむかっ腹を立てると私に向かって昂然と言うのである。
“Mr. Maruhara Jonosuken,(ここから日本語ね)、雑誌読んだら縦にして元に戻しておいてねって何回言えば分かるのよ。平らにして置いておいたら、下に何があるか隠れて分からなくなっちゃうでしょう」
「読みかけで、ちょっとトイレに行ってる間にページが閉じちゃっただけだろう。しおりを挟んでなかったんで、どこまで読んでたかうっかり忘れそうになったんだ。本棚に戻してしまったら、最悪、どの雑誌のどの号だったか分からなくなってしまうぞ。なんでそんなちっちゃなことで怒るんだ」
「ちっとも怒ってませんー。べー。でもね、雑誌の山がパイか頁岩みたいになっていって、ページの間から化石になった鯛焼きが見つかるようになったらどうするのよ」
 というようなどうでもいいはずの時にもこの姿勢を見せられた。このコとの言い争いでは、季節性乾燥症の肥厚ナメクジ同士のレスリングのように、体表が滑って転がって思うように対戦できず、なかなか決め手が見つからなかった。
 私の名前は日本語表記では「丸原浄の助ン」であるが、普段は丸原浄(まるはら じょう)とだけ名乗っている。近年は日本人の氏名をアルファベットでも日本語の語順通りに書く例が増えている。私も原則としてそうしたいが、欧米の奴らと話す時には私は簡単にJoと呼ばれる方が多いんだJo。Jo Maruharaである。何かの書類を作るときに私に無断でJoeと綴られていることもある。Joe Hisaishiなら文句なしに格好いいんだけどね。
 喧嘩がエスカレートしてくると、このアメリカ人は私の名前を勝手に様々に加工して侮辱するのであった。それだけ日本語力がついていったということである。漢和辞典を読みふける楽しみにはまってしまったようだ。これは、欧米人がラテン語辞典を精読することにも似ている。何しろ、日本語はその豊かで複雑な成り立ちからして、漢字の深い知識が不可欠の言語だからである。諸橋轍次先生の『大漢和辞典』がついにUSBメモリー1本で購入できるようになったのは夢のような話である。価格も1,000米ドルほどに過ぎない。
 自己紹介の時、最後の「ン」のところでいつも相手が笑い転げ出すので、できれば最後まで秘匿しておきたかったが、昔の彼女(すけ)にばらされちまった以上は致し方あるめいン。まるで晴れの舞台で台詞を忘れてしまって立ち往生し、見栄を繰り返して張り続けるしか芸のない三流の歌舞伎役者のような名前である。小生は、お寺の生まれなので、こんな名前を付けられて現在に至っておりますです、はい。あたし恨むわ、来世でも。うちで産まれた男児の名前には代々「浄」の漢字が入ってるんだ浄。ただし、悪いことばかりではない。ひとつ有利なのは、一発で名前を覚えてもらえることである。相手が日本人の場合だけではない。日本語を解する外国人の場合にもそうであった。こういうこともあった。
 学術交流協定の調印式の準備のため来学した、関西に留学経験のあるアメリカの大学の理事と学内のイベントで知り合った時のことである。2年早く産まれてきた、というネタを振ってみたら、相手は神経質そうな表情を椅子の上で一瞬で崩して両手を叩いて、両足まで浮かせて15秒も笑い続けていた。サルのオモチャみたいであった。
「カッシャン、カッシャン、キッ、キッ、キッ」
「はーい、おしめ取り替えましゅよう」
 これで気に入られて、学食で遅い昼食を取ることになった。「このキーマカレーうまいね。空豆入れるなんて、誰が考えついたんだろう。だけど弱ったな、これから明日午後の便で帰るまでに馴染みのラーメン屋8箇所いかなあかんのどすえ。何で私日本人に生まれなかったんですかね。食いだめすると食べ過ぎになるでしょう。急性糖尿病ってあるんですかね」なんて他愛のない話をしただけだった。ところが、何年も経ってから私が所用で上京した際に都内で偶然再会したときに、「丸原浄の助ンはんのお名前だけは珍しいのでよー覚えておりましてん。忘れられしまへン」と言われたのであった。

第14章 私の誕生前後の慌ただしさ https://note.com/kayatan555/n/n44b6c0187236 に続く。(全175章まであります)。

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