沈靚記者の「それは、それとして」

図3

https://www.thepaper.cn/

紙媒体の衰退とニューメディアの登場

中国では、2009年に微博(WEIBO)、2011年に微信(WeChat)が登場すると、スマホが人々の主要な情報窓口になり、それに合わせて、新聞や雑誌等の紙媒体が、続々と休刊に追い込まれていきました。
上海で発行部数30万部を誇る『東方早報』も、「もう紙メディアの将来はない」として、2014年、新しいメディアをスタートさせます。
メディアの名前は『澎湃(ポンパイ) The Paper』。
この『澎湃』はAPP(アプリケーション)をスマホにダウンロードして見るメディアで「ニューメディア」と呼ばれました。この年、他に『界面新聞』『好奇心日報』、上海共産党委員会機関紙『解放日報』の『上観(上海観察)』等のニューメディアが誕生、ニューメディア元年となりました。

その後、各メディアもAPPを作り、ユーザーは、それをダウンロードして見るようになりました。2017年のメディアAPPのダウンロード数ランキングTOP10を見ると、上海の「澎湃」が第3位、同じく上海の「界面」が第6位に入っています。「澎湃」は、登場して3年で中国共産党三大機関紙「人民日報」「新華社」「光明日報」の「光明日報」を追い越すダウンロード数となったのです。

APPダウンロード数

『澎湃』の沈靚記者が来社

2014年『澎湃』誕生の年、私は『澎湃』の記者に会うことになりました。
それまで仲が良かった「第一財経週刊」の記者が、北京の別会社に移ることになったので、『澎湃』の国際部・日系企業担当の沈靚記者を紹介してくれたのです。当時は、2012年の尖閣諸島問題から1年半たっていましたが、現地の日本企業にとっては厳しい状況が続いている時期でもありました。
こんな時期に中国メディアの記者の訪問を受けるというのは、友人記者の紹介とはいえ、ちょっと緊張していました。

夏の陽ざしが窓辺を照らしているオフィスの会議室。約束の時間より5分ほど遅れて登場した沈靚記者が、にこにこしながら、流ちょうな日本語で話し始めました。

沈靚01 (2)

彼は、『東方早報』の記者だった頃に、上海日本総領事を取材した話や日系企業の取材記事を見せてくれながら、『澎湃』の紹介をしてくれました。
記者というよりは、どこにでもいる普通の青年のようでした。こんな時期に中国メディアと話す機会は貴重だと思い、気になっていた釣魚島(尖閣諸島)問題について、メディアはどう思っているのか聞いてみました。

それは、それとして

沈靚記者は、「来ましたか」というような顔をした後、「もちろん釣魚島は中国のものです。決まってるじゃないですか」と笑いながら答えました。
私が「日本が嫌いなのに、日系企業担当をやっているの?」と突っ込むと、次のような答えが返ってきました。
「私は、日系企業の総経理(社長)の取材をしたことがあるのですが、質問にもわかりやすく答えてくれ、製品も一つひとつ丁寧に説明してくれました。説明を聞いているうちに、総経理の自社と自社製品に対する愛や誇りのようなものが伝わってきたんです。そんな総経理の姿を見ていて、私はたちまちファンになってしまいました。
私は、抗日戦争での日本軍のことは知っていますし、釣魚島問題についても知っています。しかし、それは、それとして、日本や日系企業への興味は強いです。素晴らしい製品や文化を生み出す素晴らしい日系企業を、もっと取材したいと思い日系企業担当になったのですよ。」

尖閣問題で、中国人従業員との間で尖閣問題について話すのはタブーとなっていたり、中国から駐在員を引き上げさせようとする日系企業が存在する中、この沈靚記者の回答に、私は一瞬言葉を失いました。

「それは、それとして」… これは、お互いに相容れないことがあっても、一致できるところは認め合い、お互いに協力し、相容れないところは対話を続けていく 、そういうことを意味する言葉です。
全てが一致しなければ認めず対話もしない、自分たちが有利になるよう駆け引きをするという戦うコミュニケーションをする人たちには思いつかないことかもしれません。その勝手な思い込みと勘違いの愛国精神が、人生という限られた大切な時間を意味のないものにしてしまっているのです。
「それは、それとして」は、同じ時代を生き、将来の人たちのために国境を越えて手をつなぎ、未来を作っていっかなければならない我々現代人に対するヒントのような気がしました。それを、初めて会った中国メディアの沈靚記者に教えられたのです。この言葉は、今、私が中国や台湾、韓国と関わる際の、考え方の大切な軸の一つとなっています。

沈靚記者は、その後、政治部に異動になりましたが、今も友達で、微信でやり取りをしています。中国の記者は25万人いると言われていますが、その中に、この沈靚記者のような人もいるのだということを知っていただければと思います。

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